再生核研究所
vacilandoelmundo:

Grand Canal, Venice, Italy

beautifulbookborrower:

The Abraham Lincoln Book Tower! You can find it across the street from Ford’s theatre in Washington D.C., as a part of the Lincoln exhibit attached to the house where he died. 

This tower is 34 feet high and took only 2 weeks to create! My sister and I were debating whether they had to add a new book to it every time another Lincoln biography was published, but apparently they created this tower in 2010 and haven’t gone back to add anything to it. 

When I die, I would like this done to the books I own. 

再生核研究所声明832012.4.11)  再生核研究所声明とは 何か

 

(2012.4.5.16:30 研究室において、論文執筆で疲れ 休憩していたときに、ひとりでに閃いたものである。)

再生核研究所声明とは、いわば、人生の大部分を 大学において、数学の研究で送った者が、人生、社会を観、世界の在りようについて、纏めた、意見表明である。 その心は、どうして、人間は未だ野蛮な時代を送っているのか という発想である。人生、世界における認識は、ソクラテス、お釈迦様、孔子様、ゲーテ、アインシュタインを越えていて、声明は人を導き、人生の指針を与えると思われる。 
何故、そう言えるか? まず、人類は未だ、人間存在の意義について、明確な言葉を得ていない。実際、人生とは何か と問われれば、それは分からない と答えるのが、世の常識ではないだろうか。 また、すべての人間にとって、最も大事なこととは何か と問われれば、答えられず、解答を聞いて、多くの人は 始めてぼんやりと理解できるだろう(再生核研究所声明13:第1原理 ― 最も大事なこと)。

ゲーテもアインシュタインも人生について同じような心境に達していたとみられる。彼らは、人生の実相を良く捉えていたが、それらの心境では、生命と人生の在るべき姿に対して 不十分であると考える。実際、人は、両者の境地で、道を、人生を 彼らの指針を得て、確かに歩めるであろうか。実際、人は夢中で活動し、生きれば良いと言っているようにみえる。お釈迦様も、ソクラテスも、孔子様も、多くは いわば、当たり前のことを述べており、如何に生きるべきかについて、多くの部分で不明であり、つまずき、人をして、迷わせている面もあることを認めざるを得ない。多くの仏教徒は何をしてきたのだろうか、多くの哲学者は何をしてきているのだろうか、儒教はどうなっているのかと問う。実際、人は、それらの教えで、確かに生きられるであろうか。実際、近代科学がきり拓いた真実、実相、基本的な世界の理解、認識から、我々は多くを学ばなければならない。

人間存在の意義と有るべき姿の原理は、再生核研究所声明12:
人生における基本定理

・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、

「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」

という言葉がわいてきた。

「人間としての存在の究極の意味、価値は」

「人類の目指すべき基本的な方向とは」

これらの基本的な問いについて、全体的に、直観として得た解は、

人生の意義は、感動すること にある」

というものである。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 

この見識が、言明が、孔子様を越えていることは、明らかである。社会の問題も 再生核研究所声明 1 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは: で、公正の原則で、社会のあるべき指針は 自明のことであるとした: 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.

2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.

3) それはみんなに受け入れられるか. 

4) それは安定的に実現可能か。

ゲーテのファウスト、ファウスト博士が到達した境地、アインシュタインの人生に対する見解:自転車は走り続けなければ倒れてしまうは 同じような人生の実相を示しているが それは 再生核研究所声明 72: 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 の断片を表現しており、双方の見解は 人生、世界のあるべき姿についての考察を 中断しているようにみえる。また、ゲーテとの対話を読めば、ゲーテが素晴らしい頭脳と感性、知識を有していたにもかかわらず、お釈迦様の知恵の面から観ると 平均的な日本人くらいの知恵しか有していなかったことを知って 愕然とするだろう。西欧の文化必ずしも質、高からず、お釈迦様の世界をもって、秀と考える。

お釈迦様とソクラテスの 生と死、悟りについては、

再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 63: 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心                           得
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
などで、両者を越えた真実と境地を表現していると考える。

人類は 未だ無明の野蛮な時代にある。世界史の夜明けを迎えるために、暗い時代を終了させ、世界史を進化させたい との願いを込めて、人生、世界、社会、教育など広範な分野にわたって、各論について、意見表明を行っている。 その意気は 知能の高い、進化した未来人が書く、世界史の評価に耐えられるようにとの心にある ―― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判。

そこで、人生、世界の在りようについての再生核研究所声明を、数学における定理のように 世に広め、活用、学習して頂きたいと考える。 それらは必ず、世界史の進化に 貢献するだろう。 政治や世界平和の問題などは、言うに及ばず、簡単である。世界史は、何を まだ ごたごたしているのか といっている。再生核研究所声明は 人生、世界の在るべき姿ばかりではなく、生命の目標を はっきりと示している。

以 上

 

bornagraphique:

Repeating patterns

Bornagraphique
by Bobby Born


再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判
                 
声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 
と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。
ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。
個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。
そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。
神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。
進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。
そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。
この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。
将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。
以上
 
 

 

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by Bobby Born

再生核研究所声明412010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判

                

声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 

と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。

ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。

個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。

そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。

神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。

進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。

そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。

この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。

将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。

以上

 

 

 

theantiquated:

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再生核研究所声明 32 (2010/03/20):  夜明け ― ノアの方舟

夜明け前 よっちゃんの想い  の中で、繰り返し人間存在の意義を問い、 世界の在り様と人間存在の在り様について述べている。 そして、人類の存在は如何なるものをも越えた前提であると述べて、存在、智、愛の三位一体の人間存在の原理を繰り返し、強調している。しかるに現在、世界は明確な人類の歩むべき方向を見出せず、一部には他国や他民族に疑いを抱いたり、古い時代から続いてきた闘争心や独断と偏見、無智に満ちていて いまなお混乱と暗い時代が続いていると言える。著書の中で 述べられているように 個々の人間は 自分の心に忠実に 感動できるような生き方を 公正の原則(声明1)に配慮しながら 求めて行くべきであると考えるが、人類共通の顕著で高い一つの目標をここに掲げたい。存在、智、愛の三位一体に基づいた 人間存在の原理は 人類の生存は 如何なるものをも越えた大事なことであることを示しているから、地球環境を限りなく大事にし、人間関係、社会を大事にすることを 上記 著書のはじめに 最も大事なこと として述べている。これはあらゆる生物を支配している本能原理を昇華させたものであると言える。 ここから、我々は明確な 人類共通の目標を見出すことができると考える。 地球自身も地球の環境も永年保存される保証は確かに無いから、人類が地球を越えて存在領域を拡大していくのは当然である。また著書は人間存在の原理として、あらゆるものを究めたい という原理を述べているが、我々が小さな地球に拘っている理由は何も無く、広大な大いなる世界に興味と関心を持ち、追求していくのは当然である。この声明の趣旨は 我々の母なる地球を限りなく大事にし、あらゆる生命を大事にして、 我々の生命の代表者を次々と新ノアの方舟として、地球外に送り込もうと提案しているのです。 あらゆる生物の代表として、多くの生物とともに永遠の生命と存在を求めて努力して行こうではありませんか。いま大きな人類共通の希望 ノアの方舟 を想像して、 美しい地球の建設に取り掛かろうではありませんか。 そのような意味で 現在はいまだ、先史時代にあるとも言える。世界の皆さん、武器などを捨てて 共生の世界を作ろうではありませんか。 お互いに短い、儚い生命を生きている 存在同士 ではありませんか。 お互いにお互いの世界で感動できるような世界を建設しようではありませんか。 ノアの方舟を 世界の歴史とともに地球外に送るのは 人間だけができる、 人類の最も神聖な義務 であると考える。 実際、あらゆる生物、人間にとって共通で確かなこととは、生きて存在しなければ 何も始まらない(生命の基本定理)ということである。                                           
以上

 

 

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再生核研究所声明36(2010/05/14): 
恋の原理と心得
 
元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。
しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。
このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 
男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える:
 
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.             
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
 
殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。
 
恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:
恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。
女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。
自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。
人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。
 
少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。
元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。
以 上
 

 

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再生核研究所声明3620100514): 

恋の原理と心得

 

元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 元祖生命体においては 男女はなく一体の存在である。 従って、恋も、もちろん、男女の愛も親子の愛もそして死も本来存在しないものである。 元祖生命体においては 本来 永遠の生命を有していたから、 食欲や生命間の争いも無く、人類の進化の先をもっぱら志向しているとみられる。

しかしながら、物質の形をとって、 生命が存在するためには、そのままで、永年存続させることは、 物理的に不可能であり、再生機能による仕掛けを用意する必要があった。 厳しい自然環境に柔軟に対応できるように、多様な生体系に分け、多様性の観点から、高等生物を2種類に分け、2つの作用によって、生命を再生させる仕掛けができて、それらが、男女の誕生、恋、結婚、出生、育児、親子の基本的な営みができたというのが そもそも恋の原理である。 これが子の誕生と死の輪廻、再生の原理である。 実際、人類以外の多くの生物は、生きること、恋をすること、子を設け、育てることで 殆どその生命活動は尽きると言える。 もちろん生物である人類にとっても、 基本は同様であると言える。 実際、 人生のあらゆる活動の大部分を それらに関して費やしていると言える。 種の保存は あらゆる生物の第1原理 であるから、当然である。 実際、人生を表現するあらゆる文学の課題がそれらに絡む題材であると言っても過言ではない。

このような発想はギリシャと仏教の思想にあると考えるが、 夜明け前 よっちゃんの想い で最初に述べられた 最も大事なこと ― 必然的に新しい価値観と考え方を限りなく発展させて、雄大な世界を拓く - となるので、深入りはしないことにしたい。 そこで、心得の方に視点を移したい。 

男女がどのように恋について関わるかは 2人の自由であるから、それらの内部関係ではなくて、社会的な在り様についてまず触れたい。 実際、現在でも国や、社会によって多様な在りようが存在するのが 現実であり、実際である。 しかしながら、それらの在りようの基本として、声明1に述べられている、 公正の原則は ここでも基本になり得ると考える:

 

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.

2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.            

3) それはみんなに受け入れられるか. 

4) それは安定的に実現可能か.

 

殆どの小説の題材になる程に 恋の問題は、人間の精神に深い影響を与えるものであるから、 特に個人個人が 自己の心に忠実に、全体として、諒となるように対応するのが 最も肝要である。 自己の心とは実際深く、複雑なものであるから、しっかりと自分を捉えて対応するのが肝要である(恋の心得)。 上述のように そもそも 恋は生と死に関わる人生の大事 であるから、特に恋の 第一の結晶作用(スタンダール)がはじまる以前においては 慎重さが大事であり、第二の結晶作用 前においては 恋を解消する勇気を持ちながら、十分な時間をとり、全人格を賭けて決断を行なうことが特に肝要である。恋には、一個の人間の、愛、欲求、良心、熱情、不安、畏れ、などなどの激しい葛藤があり、その意味で、恋にどのように関わったかは、1個の人物の第1次の総合指標を表していると言える。

 

恋の現象として、特に印象深い、参考文献、表現について触れておきたい:

恋の問題を人生・世界の広い視点から深く扱っているものとして、ゲーテのファウスト。

女性の恋と性は簡単ではなく深いものであることに触れている、バルザックの谷間のゆり。

自殺する前に話した、先輩の言葉: 私の人生で、真実は唯一つ、A を愛したことだけである。- 実際、恋のいわば失敗で、自殺に追い込まれたり、生涯に亘る傷を負うことは世に多くみられる。

人生の基本定理(声明12)に寄せられた言葉: 出産が 私の最も感動したときである。

 

少し、超越への道について触れたい。 食欲と性欲は 基本的な人間の欲求とされるが、上記 元祖生命体においては 本来それらは、無いものであり、本来の生命活動としては、それらを超えたところに存在するということである。 したがって、 食べるために生きる、恋のために生きるは、本質的な誤りを含んでいる。 真実、本質は逆である。 生きるために食べ、生きるために恋をするのである。 したがって、それらは無限ではあり得ない。 人類が 元祖生命体の人類の先を志向するのは、あらゆる生物のうちで、人類だけができる人類の崇高な使命である。 人類は己が存在の基礎に元祖生命体の己の分身が雄大に広がっていて、同じ運命共同体であることを忘れてはならない。 もちろん、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在である。 まこと 個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみると 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である。

元祖生命体の高度な謙虚な営みの一つして、 数学者の人生を紹介したい。 数学者は関係を追及していて、ただその関係はどうかという問題意識を持ち、あるいは その真偽の追求、あるいはそのような関係を求めて、真理の追求を行っている。 面白いのは、それらは世の中と何ら関係がなくても、 それはどうか、どうかと限りなく追及していることである。 しかも その中に、美と感動を見出して、その追求には終わりはなく、 無限である。実際、たとえば、オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる、と言える。数学者にとっては 人生は短すぎると言える。また、移ろい行くものや世事に関心が薄く、実際、戦場でも数学を考えていたというような逸話が残されている。 科学者や芸術家も同じような人生ではないかと考えられる。実際、人間は有限性と無限性の両面を持っている存在である。

以 上

 

 

ericmickelson:

Moab.
| ericmickelson.com

再生核研究所声明155(2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??
 
(仏教に学ぶ - 生きる意味 中村僚様が 最近広範に文献を紹介され、 問題を提起されているので、この問題に関心を抱いてきた者として、総合的に触れたい気持ちが湧いた。)
 
生きる意味とは何か? 思えば 永い考察の後に、50歳で、人生の意義は 感動することにある (人生の基本定理) と、朝の目覚めと共に直観、閃き、相当に興奮して、その心境を友人たちに語り、それは 最近の100/0,0/0=0の新しい意味の発見のようであった。関連文書も沢山書いてきたが、それらの中で、孔子や藤村操をも導けたのではないかと言及している(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について; 再生核研究所声明57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか; 再生核研究所声明145: 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察; 再生核研究所声明149: 生きること、生命の本質、活動して止まないもの)。
 
考えている人間とは そもそも何か? 大事なことは 誰も好き好んで生まれ、 存在しているのではないという、まぎれもない事実である。 これは何を意味するであろうか? これは 数学のように公理系や、原理が与えられ、我々は、つくられた存在で、我々の在るべき姿は、基本的には定められているということを意味しないであろうか。 誰しも食の本能を満たしたいと思うだろう。 そうでなければ、我々は生物として存在できず、生きる意味など考える余裕さえないだろう。 人間は人間いぜんに、生物であり、動物であるから、それらの有している本能原理を満たし、尊重するは 人生を考える第1歩であると 基礎を確認する のが大事ではないだろうか。
 
最近の厳しい社会状況をみると、それらの基礎である、職を得、家庭を持ち、育児で、既に精一杯で、いわば高尚な 生きる意味など考察している余裕さえない現状が広くみられる。それどころか、生活もままならないのに、他国を挑発、軍備増強、危機を煽ったりしている 愚かで 野蛮な人々が多数を占めている現状さえ 広範にみられる世相である。
 
生物的な本能が満たされ、生活に余裕ができれば、好きなように、喜びが、感動が 湧くように 楽しく生きれば 良いのではないだろうか。しかしながら、生活に余裕ができても、楽しく生きることが 結構難しいが、これは要するに 環境の中で、 自己の心、自分に合った様に生きるのだから、 これは多くは、個人の問題に帰することに成るだろう。 政治も 宗教も 知識も 環境も、この個人の心の問題には 深くは入れないだろう。好みは 人それぞれで違うからである。 その違いが大事で、多様な大きな世界を作る原理に成っていることが分るだろう。人間には飽きるという素晴らしい、本能、原理が有るからである。どのような幸せ感さえ やがて飽きるだろう。
 
そこで、人間の理想的な境地を次のように触れておきたい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
 
しかしながら、人生とは、全て上手く、いっても それが どのような意味が有るのか、と問うことができる。 結局人生とはどのような意味が有るのだろうかを、死の問題に絡ませて、触れれば、 問題はさらに深く、個人の心の問題に発展するが、 それらは、また生命の本質に関わる。 要点の多くは 再生核研究所声明の中で、 深く触れている。 理解には 個人の心の問題、 状況に深く関係するので、簡単ではない。もちろん、多くの人が、死からの解放を望んでいることを 深く受け止めている。
 
以 上
 
謝辞: 中村僚様には かつての自分を想わせるような 人生に対する真摯な姿勢を拝見し、共感、共鳴していますが、努力と優秀性を感じています。 広い貴重な情報には感謝したい。

 

ericmickelson:

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再生核研究所声明155(2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??

 

(仏教に学ぶ - 生きる意味 中村僚様が 最近広範に文献を紹介され、 問題を提起されているので、この問題に関心を抱いてきた者として、総合的に触れたい気持ちが湧いた。)

 

生きる意味とは何か? 思えば 永い考察の後に、50歳で、人生の意義は 感動することにある (人生の基本定理) と、朝の目覚めと共に直観、閃き、相当に興奮して、その心境を友人たちに語り、それは 最近の100/0,0/0=0新しい意味の発見のようであった。関連文書も沢山書いてきたが、それらの中で、孔子や藤村操をも導けたのではないかと言及している(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について; 再生核研究所声明57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか; 再生核研究所声明145: 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察; 再生核研究所声明149: 生きること、生命の本質、活動して止まないもの)。

 

考えている人間とは そもそも何か? 大事なことは 誰も好き好んで生まれ、 存在しているのではないという、まぎれもない事実である。 これは何を意味するであろうか? これは 数学のように公理系や、原理が与えられ、我々は、つくられた存在で、我々の在るべき姿は、基本的には定められているということを意味しないであろうか。 誰しも食の本能を満たしたいと思うだろう。 そうでなければ、我々は生物として存在できず、生きる意味など考える余裕さえないだろう。 人間は人間いぜんに、生物であり、動物であるから、それらの有している本能原理を満たし、尊重するは 人生を考える第1歩であると 基礎を確認する のが大事ではないだろうか。

 

最近の厳しい社会状況をみると、それらの基礎である、職を得、家庭を持ち、育児で、既に精一杯で、いわば高尚な 生きる意味など考察している余裕さえない現状が広くみられる。それどころか、生活もままならないのに、他国を挑発、軍備増強、危機を煽ったりしている 愚かで 野蛮な人々が多数を占めている現状さえ 広範にみられる世相である。

 

生物的な本能が満たされ、生活に余裕ができれば、好きなように、喜びが、感動が 湧くように 楽しく生きれば 良いのではないだろうか。しかしながら、生活に余裕ができても、楽しく生きることが 結構難しいが、これは要するに 環境の中で、 自己の心、自分に合った様に生きるのだから、 これは多くは、個人の問題に帰することに成るだろう。 政治も 宗教も 知識も 環境も、この個人の心の問題には 深くは入れないだろう。好みは 人それぞれで違うからである。 その違いが大事で、多様な大きな世界を作る原理に成っていることが分るだろう。人間には飽きるという素晴らしい、本能、原理が有るからである。どのような幸せ感さえ やがて飽きるだろう。

 

そこで、人間の理想的な境地を次のように触れておきたい:

 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。 再生核研究所声明148.

 

しかしながら、人生とは、全て上手く、いっても それが どのような意味が有るのか、と問うことができる。 結局人生とはどのような意味が有るのだろうかを、死の問題に絡ませて、触れれば、 問題はさらに深く、個人の心の問題に発展するが、 それらは、また生命の本質に関わる。 要点の多くは 再生核研究所声明の中で、 深く触れている。 理解には 個人の心の問題、 状況に深く関係するので、簡単ではない。もちろん、多くの人が、死からの解放を望んでいることを 深く受け止めている。

 

以 上

 

謝辞: 中村僚様には かつての自分を想わせるような 人生に対する真摯な姿勢を拝見し、共感、共鳴していますが、努力と優秀性を感じています。 広い貴重な情報には感謝したい。

 

中国人が語る日中の違い、「中国人にとって最大の束縛は道徳、日本人は…」―中国ネット

中国人が語る日中の違い、「中国人にとって最大の束縛は道徳、日本人は…」―中国ネット

2014年7月22日、中国のネットユーザーは中国最大のポータルサイト・百度の掲示板で「日中の違い」と題したスレッドを立て、日本と中国の文化や考え方の違いを紹介。多くのユーザーがコメントを寄せている。

スレッド主紹介の「日本はごみを細かく分別するが、中国はほぼ分別しない」では共感の声が多く、「中国は分別の前に、まずごみをポイ捨てしないことから始めるべきだ」と指摘するユーザーもいた。

考え方について「日本人が物事の過程を重視するのに対し、中国人は結果を重視する」とのスレッド主の書き込みについては、「そうだ、過程などどうでもいい。結果だけわかればそれでいい」「日本人は人を重視し、中国人は事を重視する傾向にあるのかもしれない」といった意見が寄せられた。

スレッド主はこのほかにも、ご祝儀を包む文化に関して「日本は紙幣の枚数が偶数だと割れる(別れる)ため、避けられる傾向にあるが、中国では『対になる』という意味合いからむしろ偶数が好まれる」や、「日本人にとって人生で最大の束縛は『ルール』だが、中国人は『道徳』だ」など両国の多くの違いを紹介。これにネットユーザーからは、「ますます日本に行きたくなってきた」「日本は多くの点で中国より優れている」などの日本を称えるコメントや、「砂漠と森林の環境が違うのと同じように、両者に違いがあるのは当然だ。欠点を指摘することは簡単だが、何の意味もない。批判は人のためにも自分のためにもならないからだ」とスレッド主の書き込みに否定的な意見も見られた。(翻訳・編集/内山)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140723-00000007-rcdc-cn&pos=1

再生核研究所声明 25 (2009/07/01): 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて

世界の大国、アメリカと中国の存在は それら両国を抜きにして、世界の平和や経済問題など、語り得ないことはもはや自明の事実である。 したがって、それら両国と日本国がどのように向き会うかは 国家の重要事項である。日本国の位置づけを行う上でも重要な視点になる。そこで、日本国の在りようの視点から考察を行いたい。

まずアメリカに対する評価であるが、第1に、 日本国は アメリカを主とした国々に無条件降伏を行い、しかも戦後復興を援助してくれた国として、別格の位置づけを行い、友好親善関係を深めていくのは当然である。さらにアメリカは、民主主義の大国であるばかりではなく、経済、軍事においても、文化においても世界を指導できるただ一つの超大国であると評価できる。 それゆえに、日米安保条約などの関係も それなりに理解できるものである。 しかしながら、戦後60年を超えて、外国軍が駐留を続けている状況は異常な状態と言わざるを得ない。いまだ日本には敗戦の傷を負い、独立心と自立心に欠け、対米従属の精神が抜けきらないのは はなはだ残念である。大抵の国々が敗戦を経験したり、過ちを犯してきているのは当たり前なのに、日本国はたった一回の敗戦で、独立国家としての気概を失っているのは誠に残念である。 すなわち、アメリカに対しては、別格の友好親善関係を維持しながら、敬意を表しつつ 日本国は より国家としての独立性と自立性を図るように努力することとしたい。これは軍事、経済面ばかりではなく、文化や精神面においても、である。

次に、対中国問題であるが、まず、中国はいわば日本の故郷に当たるという格別の認識を確認すべきである。日本人の多くは中国に行って、兄弟や親族と間違えるような人々に会い本当に兄弟国であることを知るでしょう。さらに漢字や儒教を通して、多くの文化の強い影響を受けていて、世界の文化圏から見れば 日本は中国の文化圏の1部であるとみられよう。しかるに中国を嫌ったり、警戒したり、あるいは敵視するような1部の人たちの見方は はなはだ視野の狭い、独断と偏見に満ちたものであるといわざるを得ない。日本国は いつも大国中国に対しては、特別な敬意をもって 母なる大国 として当たるべきである。

アメリカと中国との友好関係を深め、世界の平和は両国を中心として、国連常任理事国などに任せ、日本は最小の専守防衛の自衛軍を備えるというのは 日本国の在りようの基本として良いのではないかと考える。

日本国は 軍事や国際平和の問題を任せて、謙虚にして、内実を図り、文化や経済などで発展し、国際貢献していけば良いと考える。その時 日本国憲法の精神が 理想ではなく現実に実践できる時代を迎えることができると考える。

皆さん 軍隊などはなくても 誰も侵そうなどとはしない 美しい国、日本国 を築こうではありませんか。暮らしが大事、内実が大事ではないでしょうか。世界に誇れるような 北欧諸国や、ポルトガルのような文化国を作ろうではありませんか。 

この日本国の在りようは 集団防衛構想や敵地攻撃を検討したり、防衛力増強を図る立場とは激しく対立する 日本国の在りようとして 現実的に極めて重い意味を有するのです。 背景には 国、地方の1000兆円を超える借金と慢性的な財政赤字、疲弊した日本社会と少子高齢化社会、荒廃した日本の教育などに対する配慮があるのです。    以上。

国の借金985兆円 12年度に1千兆円超え確実

http://www.asahi.com/business/update/0124/TKY201201240691.html

国の借金1人850万円…12年度末過去最大に

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20120125-OYT1T00062.htm

国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111028-OYT1T01333.htm

U.S. National Debt Clock : Real Time http://www.usdebtclock.org/




再生核研究所声明2(2007/01/27)教育方法と賢王の心得

2500年も前の中国古代で次のような文献があるのは誠に驚異です:

今の教育では、教師はただ目の前の教科書を読み上げて、文字や辞句の質問を並べて学生を責め、言説が散漫であり、学習範囲を広げることを急いで、ゆっくりと研究することを教えようとせず、人々をその本心から学問を好むに至るように導くことをせず、また人を教えるのに、好くその才能を尽くすことに努めず、師の教え方も誤っており、学生の学び方も正しくない。 そのため学生は、学問が好きになれず、教師に親しまず、学習の困難に苦しむばかりで、その利益を知るに及ばず、従って、せっかく学業を終えても、たちまち学問を捨ててしまうのである。 今の学校教育が功をなさぬ理由は、上述のとおりではなかろうか?

大学の教育方法では、学生の過誤を未発のうちに防止することを予という。 学生の学習状況に応じて、ちょうど好い時に教えることを時という。 学生の(受容能力の)程度を越えぬようにして授業することを孫(順当)という。 学生が互いに注意して言行を善美にしてゆくように指導すること、これを摩(磨)という。 これらの四事は、教育の効果を大きくする善法である。

(これに対し、次に述べるのは、悪法である。)

学生の過誤が発生してしまってから、これを叱って禁止すれば、相手は抵抗して、これを抑えるのは難しい。 また授受に程度良い時を失うと、学習に骨が折れて成功しにくい。あれもこれもと雑多に教え込んで無理をすると、学習が混乱して順序を失う。また学生を孤独に捨てておき朋友と交わるように指導しないと、学生は頑固で偏屈になる。また遊びすぎの友人に交われば師長の教訓は守られず、遊び癖がつけば、学問は捨てられてしまう。

これらの六事は、教育を妨害する大きな原因である。

次に、学ぶ側の四つの誤りがあって、教える者はこれを心得ておくべきである。即ち、人が物事を学ぶに当たっては、そのことに関連して余りに多くの事に手を広げると、すべて散漫な知識となり、余りに範囲を狭くすれば、知識が貧者弱となり、目先の変化に引かれると何一つ完全な知識を得られず、逆に狭い範囲に限定すれば、知識は偏狭となる。これ四種の誤りは、それぞれ相異なる心理から生ずるものであるが、教える側の者は、好くそれぞれの心情を察してこそ、その誤りを救ってやることができるのである。

教育は、人の長所を助長し、短所を抑制するように導くことなのである。

古代の賢王のたちが天下を治めたときの心得は、五つであった。 有徳者を貴ぶこと、

身分の貴い人を尊ぶこと、老人を尊ぶこと、年長者を敬うこと、及び幼少を慈しむことである。この五つが古代賢王たちの政治の心得であった。有徳者を貴ぶのはなぜかというに、有徳者は(人間の)正道を得たものに近いからである。身分の貴い人を尊ぶのはそれが君公に近いからである。老人を貴ぶのは、父母に近いからである。年長者を敬うのは、兄に近いからである。幼少を慈しむのは、わが子に近いからである。それゆえ至極の孝子は天下に王たるに近く、至極の賢弟は覇者たるに近い。なぜかといえば、天子といえども、人には父母があり、これに仕えて敬愛を尽くし、よく孝子の模範となってこそ、万人が心服して、真に天下に王たることができるのである。また諸侯にも必ず兄があり、これに仕えて恭敬を尽くし、よく弟たるの道を行ってこそ、他の諸侯が心服して、霸者たることができるのである。従って古代賢王の道は、そのままに、受け伝えて改めることを要せず、これを行えば、天下国家を保ち治めることができるのである。

孔子が(以下のように)言っている。人を愛することを説き出だすには、まず父母から愛することから始めるのは、相互親睦の道を教えるためである。人を敬重することを説き出だすには、まず年長者を敬うことから始めるのは、人に従順の道を教えるためである。君が慈愛親睦を民に教えることによって、民は父母を養うことを重んじ、年長を敬うべきを教えることによって、民は長上の命令を守ることを重んずるのである。それゆえ、孝敬を心がけて父母に仕えること、柔順を心がけて命令を守るということ、この二つの道を天下に普及させれば、他のいかなる政教も天下に行うことができるのである。

竹内照夫著 礼記(中)新釈漢文大系 発行所 明治書院 p548-551; p 709-710 抜粋

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東南アジアや沖縄生息の魚、神奈川で次々と発見

東南アジアや沖縄生息の魚、神奈川で次々と発見

神奈川県の沿岸で、南方系の魚が相次いで見つかっている。横須賀や平塚の沖では東南アジアを生息域とする「カタボシイワシ」が定置網にかかるようになり、横浜の海岸では沖縄などで生息する「ウミショウブハゼ」が見つかった。専門家は海水温の上昇が主な要因とみており、地球温暖化との関連を指摘する声が多い。

◆カタボシイワシ

昨年11月、県水産技術センター(三浦市)の舩木(ふなき)修主任研究員が、横須賀市佐島(さじま)沖の定置網にかかった魚から調査用のカタクチイワシを購入したところ、体長5~6センチの魚が8匹入っていた。「ヒラゴ」と呼ばれるマイワシの幼魚に似ていたが、マイワシの産卵期は2~4月で、11月には体長10センチほどに成長しているはず。詳しく調べたところ、ひれの形などから、8匹は南シナ海や台湾近海が主な生息域であるカタボシイワシの幼魚とわかった。魚の成長過程がわかる「耳石」と呼ばれる骨を調べると、昨年8月頃に生まれたと推定された。幼魚が長距離を泳ぐことは難しいため、舩木さんは「相模湾周辺で生まれた可能性もある。まだ数は少ないが、2~3年前から小田原などで少しずつ網にかかるようになり、ここ1~2年で県沿岸で目にする機会が増えてきた」と話す。今年5月にも平塚沖の定置網に入っており、舩木さんは「いずれは相模湾で当たり前の魚になっていくのかも。長期的な温暖化が影響しているのかもしれない」と話す。県立生命の星・地球博物館(小田原市)の瀬能宏学芸員は「カタボシイワシはこの10年で山陰や南九州で取れるようになり、ごく最近、県沿岸にも広がってきた。相模湾ではここ30年間に海水温が約1度上昇しており、水温上昇と関係がある」とみている。

◆ウミショウブハゼ

横浜市金沢区の野島海岸では昨年11月、県などが再生に取り組んでいる海草・アマモの中から、体長2・2センチのウミショウブハゼが見つかった。ウミショウブハゼは熱帯性のアマモ類である「ウミショウブ」を利用して生活する小型の魚。アマモの葉にくっついて、葉についた小動物を餌にし、葉に卵を産み付ける魚だが、主な生息域はインド洋から西太平洋の熱帯域。国内では本来、沖縄周辺にしか分布していない。しかし、2010年に静岡県下田市で見つかり、今回は生息域の北限記録を更新した。瀬能さんは「海水温の上昇が生息域を広げていることは間違いないだろう」とみている。アマモの再生に取り組む同センターの工藤孝浩主任研究員は「体長3センチほどの小さな魚なので、一気に東京湾まで泳ぐことはできない。少しずつ海沿いにつたってここまでやって来たのだろう」と話す。工藤さんは「ウミショウブハゼはアマモがなければ生きていけないので、豊かな自然が戻ってきたあかしだが、東京湾は冬の海水温が10度を下回るため、繁殖は難しいだろう」とみている。

(池上由高)

2014年07月20日 11時09分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

http://www.yomiuri.co.jp/eco/20140719-OYT1T50044.html

再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念

先ず、アースデイの概念であるが、グーグルで検索すると、環境関連の会議で、環境問題についての討論集会、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおう、 地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動  などから、地球環境を大事にしようという概念が 鍵となっているようである。

そこで、地球について改めて、考察し、かけがいのない地球 に想いを致し、元祖生命体における人類の使命(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)を自覚するように 訴えます。

広大な宇宙空間で、地球のように 生命が繁茂し、人間のような ある程度の精神作用や自由意志を有する高等生物が生息する天体は 未だ見つかっていない。 このことからも、既に 地球が広大な宇宙の中で、かけがいのない存在 であることが分かる。 人類が存在して、初めて、全てのことは始まるから、人類の生存は 最も大事な ことになる(再生核研究所声明13)。 雄大な生態系において、人類はその頂点に位置していて、自由意志と能力によって、地球や生態系に重大な影響を与えている。 実際、人類が望めば、原爆などで地球を破壊し、生命の絶滅も可能であろう。しかしながら、実は、人類の自覚が無ければ、このままでも 生態系が破壊され、少なくとも人類絶滅にいたるのは 物理的にも 容易に想像される。

実際、地球外から地球を見れば、人類が如何に自然と生態系を破壊して来たかが、良く理解できる。人類こそ、地球の生態系を蝕む、がん細胞のような存在であることを しっかりと理解する必要がある。がん細胞が増殖すれば、生態系は乱され、やがて がん細胞すら存在しえなくなるのは明らかである。

このような観点から、地球環境の保全、特に生態系の保全に特別な想いを致すのが、アースデイの理念 でなければならないと考える。

生きている地球が、地震などを起こすのは道理である。 地球と仲良く生きるとは、地震などにも柔軟に対応できる生き方をするということである。母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。

生態系の在りようは 多様性によって裏付けられているが、その実体は未だ 人知の及ばない領域とも言えるから、人類は謙虚になって、

1)  人類の立ち入らない島や、地域の制定

2)  あらゆる生物種の保存

に努力するように訴える。 人生で確かなこととは 生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) ということであり、生態体系の保存に心すべきであり、元祖生命体の進化を見守りたい。 また、広い存在領域の確保のためにも、地球外への進出も企てたい(再生核研究所声明32)

以 上

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河村氏 慰安婦問題は対応踏襲し解決を

河村氏 慰安婦問題は対応踏襲し解決を

7月24日 6時05分

日韓議員連盟の幹事長を務める自民党の河村選挙対策委員長は、訪問先のアメリカで講演し、いわゆる従軍慰安婦の問題について、元慰安婦の女性におわびの手紙を届けるなど、これまでの取り組みを踏襲することで解決につなげるのが望ましいという考えを示しました。

超党派の国会議員で作る日韓議員連盟の幹事長を務める、自民党の河村選挙対策委員長は23日、ワシントンのシンクタンクで講演しました。

この中で河村氏は、いわゆる従軍慰安婦の問題について、「歴代の内閣が元慰安婦の皆さんに『アジア女性基金』による償い金と手紙を添えておわびしてきた」と説明しました。

そのうえで、「もう済んだとせず、生存している元慰安婦の方々に、これまでの形を取っていけば解決の糸口はあると思う」と述べ、おわびの手紙を届けるなど、これまでの取り組みを踏襲することで解決につなげるのが望ましいという考えを示しました。

また河村氏は日韓関係について、「今、両国の首脳が胸襟を開いて会談できない状況にあり、通常ではない」と指摘しました。

そして、「日韓関係を正常化させることが国民的課題になりつつある」と述べ、年内に安倍総理大臣とパク・クネ大統領の首脳会談を実現させるため、議員連盟としても環境の整備に努める考えを強調しました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140724/k10013245691000.html

次の文を参考にしてください:

再生核研究所声明 101(2012.10.3)  

慰安婦問題 ― おかしな韓国の認識、日本の認識

戦後60年を過ぎても 韓国は 第2次世界大戦以前の問題、 慰安婦問題や日本の植民地支配を批判したり、さらに謝罪を求めたり、賠償を求めたり、繰り返しているように見える。

これらは、そもそもおかしいのではないだろうか。日本に侵略されたり、 虐待されたりしたとすれば、それは そもそも、自らの国家が、侵略を受けたり、乱暴をゆるしたのであるから、国家としての最も基本的な在りようを疎かにした、自分の国のだらしなさであって、 恥ずべきことではないだろうか。

そもそも 第2次世界大戦以前は 強い国が弱い国を侵略し、滅ぼしたり、虐殺するなど、世界の常識であり、力が世界を支配していたと言える。古くは、平和に暮らしていた国を滅ぼしたり、略奪したりしてきた歴史は幾らでもある。大和はアイヌ人を騙して、侵略を続け、アメリカでもアメリカインディアンを同じように追い詰め、 第2次世界大戦中ですら、愚かにも戦争を仕掛けた、日本国など、原爆を2つも落とされ、何十万という非戦闘員の命を落とされている。大和もアメリカも ご免なさいと謝ったり、賠償をしているだろうか。日本の韓国における非道など、世界史や、第2次世界大戦中でも無視できるほどのことではないだろうか。ドイツはユダヤ人の根絶さえ狙っていたように見える。どうして、 自分の国のだらしなさを 世界に繰り返し、宣伝し、侵略を受けたことへの反省がないのだろうか。 日本は原爆など落とされ、あるいは非戦闘員を多数失ったが、それは戦争であり、自分の国の無力さ、愚かさを反省して、アメリカを批判したり、賠償を求めたり、せず、 友好関係を進め、世界の歴史を進化させようとしている。

弱い、だらしのない国は 侵略を受け、滅ぼされるのも止むを得ないと考えるのが世界史の原理ではないだろうか。 2500年も前、古代中国では、国はどのように軍を備えるべきか、議論しており、孔子も隣国を侵略するように進言している。

再生核研究所は 世界は未だ、野蛮性を有しているから、世界史を進化させ、より良い世界を具体的に示し、世界平和の問題や、人類の在るべき姿について 提案している。未来志向である。世界史を進化させようではないかと訴えている。

韓国の慰安婦問題や植民地時代の問題のぶり返しは、再生核研究所声明 49:  アジアの愚か者、アジアの野蛮性 そのものであり、そのような見識では、同じ民族も、国家も統一できないのではないかと 憂慮している。

日本の大陸侵略の 時代背景、日本人の存念は 大谷杉郎 元群馬大学名誉教授が 心をこめて残された手記 (第二次世界大戦と日本の良心: 夜明け前 よっちゃんの想い (文芸社、84-86ページ) ― 第二次世界大戦の本質は、 世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。― )を参照されたい。より良い対応は有ったと考えるが、日本は 欧米のアジア侵略に正面から反逆して、 結果として、敗れはしたが、アジアの独立を導いた面 も 正当に評価されるべきであると考える。

元慰安婦などとの、日本政府との個別の問題対応などは、韓国への内政干渉であり、そのようなことは 韓国政府を侮辱するものである。そのような対応をとるべきではなく、元慰安婦などが 歴史的事実に不満が有れば、 それは、自分の国家の責任者に対して行うのが道理である。また、いろいろな国際舞台で 韓国は慰安婦問題や植民地時代の政策を批判などしているが、それらは、上記のように、自らの国の 自分達の無能力さを世界に表明しているものであり、いちいち反論したり、議論をすべきではない。無視すべきである。そのようなことで、言い争っていると、 外からみれば、どっちもどっちのアジアの愚か者の仲間と見えるだろう。

以 上

2.7 第二次世界大戦と日本の良心(2007/4/12):

この感想は、私と同じ年代の人たちには、圧倒的に支持される自信があります。

「声明」は、軽い現代の常識的立場の整理だと思いました。この程度の見解が「第2次世界大戦について、十分な反省」をした結果だかどうか、頼りないようにおもいました。この声明案の基本的な問題は、「第二次世界大戦をどう考えるか」「いわゆる戦犯をどう考えるか」の二つに絞られると思います。 小学校入学が満州事変、中学入学の時が日中戦争、4年の時に第二次大戦、高専卒業の時に終戦。正に戦争とともに大きくなりました。戦中派として「第二次世界大戦をどう考えるか」という問題についての回答は、「声明」が考えている現代の一般的常識とはかなり違います。

話を進めるために、是非「世界史」を勉強してください。といっても、私の勉強の中心は、

次の資料を折に触れ、繰り返し見て、私の若き日の記憶と照らし合わせるだけです。「総合世界史図表(第一学習社)1987」「総合日本史図表」「コンサイス世界史年表」「世界年表(河出書房)」それに高校の教科書です。今日もこの返事を書くために世界史図表をめくりなおしました。

世界史はまさに戦争の歴史です。とったりとられたり、栄枯衰盛、食うか食われるかの争いです。この図表(全240頁)の半分ほどの120頁以降、欧米各国の世界侵略のすさまじさが記録されています。スペイン、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ、それにロシアなどいわゆる当時の先進諸国が、インド、アフリカ、カナダ、アメリカ、南米、中央アジア、シベリア、にむけた目に余る身勝手な侵略戦争の歴史です。中国だってその渦のなかで、周辺諸国を侵し、欧米からは侵される、不思議なお混乱のなかにありました。これらの大国は、17世紀から20世紀にわたって、世界各地を恐るべき勢いで、傍若無人に侵略しまくって、植民地にしてしまいました。

 20世紀に入った頃、スペインはフィリッピンを、オランダはインドネシアを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島、それにオーストラリアを、フランスはベトナム、カンボジャ、ラオスを、つまり東南アジアの全域を侵略しつくしていました。アメリカも遅ればせながら、スペインからフィリッピンを奪っています。太平洋の島々もイギリス、フランス、アメリカの領地にくみこまれてしまいました。その上、勢いをつけたイギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどが、競って中国侵略を着々と実行していました。日本に対しても、中国に対する侵略と同じ手法で、治外法権の外人居留地をもうけたり、不平等条約を押しつけたり、で明治維新以来、侵略の初期段階にあったと思っています。ロシアと中国の清朝も、中国東北地区から韓国へと勢力を拡大すべく圧力を強めていました。

このような欧米諸外国からの侵略に対する危機感や対抗意識が、私の若い頃の日本の底流にあったと思っています。諸外国はみんなお行儀がよいのに、日本だけが侵略者でした、などとはどのようにひっくり返っても言えません。第二次世界大戦の本質は、世界列強の世界侵略に対する日本の切ない反逆です。

次に「いわゆる戦犯をどう考えるか」です。第二次大戦を前述のように考えているから、戦争裁判がまともなものであったとはとても考えられません。国際紛争には常に二つの正義が存在します。

どちらがより悪い侵略者だったかを考えるべきです。非は明らかに諸外国にあると私は思っています。 どちらがより悪い侵略者だったかを純客観的に考えられる人はいません。非はいつも相手側にあるものです。しかも勝敗がつけば、必ず敗者側に押しつけられるものです。それが正しいなどというわけにはいきません。たった1回の東京大空襲で非戦闘員の一般市民を徹底的に殺戮して10万人の死者を出し、同じ非人道的な殺戮をあちこちの都市でおこないました。その上、1発の原爆で広島20万人の非戦闘員を殺戮したことも許せません。このような桁外れの悪逆非道を犯した犯人を裁かないで、戦争裁判の正当性を主張することなどはとても承伏できません。戦犯問題は茶番です。

戦中派の私の第二次世界大戦と戦犯についての基本的な考え方です。靖国問題などは、わたくしにとって、どうでもいいことです。うまく処理してくれることを願うだけです。

第二次世界大戦と日本の良心の返事

どうも歴史的事実とズレているようです。

第一次大戦終了以降の国際社会は日本も締結した不戦条約に見られるような自衛以外の戦争の違法化に進んでいました。

そもそも1920・30年代の日本は、すでに世界有数の軍事力を持った国家であり、1932年の脱退まで国際連盟の常任理事国でした。

欧米の侵略におびえた幕末期と同じ危機感で国際情勢を語るのは明らかにおかしいと思います。

中国に対する主権侵害を禁じた九カ国条約も締結されており、帝国主義の時代は終焉していました。

このような時代に第一次大戦以前の感覚で中国への侵略を行った日本は残念ながら時代錯誤であったとしか言いようがありません。

また、太平洋戦争の主な発端は中国への侵略によって経済制裁を受けた日本が、戦争継続のため資源を南方に求めたことです。

「ABCD包囲網」というのは日本の自業自得です。

1943年の大東亜政略指導大綱では占領地の「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」を帝国領土に編入することが

決定されるなど「アジア解放」の大義名分とはまったく異なる実態を見ることができます。

要するに太平洋戦争は、東南アジアの欧米植民地を日本の統治下に置き、重要資源産出地にいたっては日本領土とするための侵略戦争であり、

そうした意味での「大東亜の新秩序」の樹立です。

再生核研究所声明 139 (2013.10.22): 

正義とは 戦争における; 短期的には 勝者が決めるが、世界史が評価の大勢を定める

(2013.10.10.16:35 休んでいるとき、構想を練る。これは声明に関心を擁く人からの 要望による。)

まず、用語を確認して置こう:

正義(せいぎ、希: δικαιοσύνη、羅: jūstitia、英: justice、仏: justice、独: Gerechtigkeit)とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正ないし衡平にもとづく道徳的な正しさ[要出典]に関する概念である。 正義の実質的な内容を探究する学問分野は正義論と呼ばれる。広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。以下では、専ら西洋における概念(すなわちjusticeないしそれに類似する言葉で示されるもの)を記述する。東洋のそれについては義のページを参照。

定義[編集]

正義とは、それ自体に鑑みれば、社会における物および人に関する固有の秩序である[要出典]。この概念は、哲学的、法的あるいは神学的な影響の下で、歴史上絶え間なく論じられてきた。正義に関する問題の多くは、西洋における正義概念に依拠している。例えば、「正義とは何であるか」「正義は個人および社会に何を要求しているか」「社会における財と資源の本来的な配分方法(平等主義、才能主義、身分主義)は何か」などである。これらの問いに対しては、政治および哲学に関する多様な観点から様々に答えうる。 正義の概念は、多くの正義論によって極めて重要な概念であるとされている。例えば、ジョン・ロールズは次のように述べている[1]。「正義とは、思想体系が真であることとしての、社会制度の根本的な徳である」。正義は、親切、慈悲、慈愛、寛大さあるいは共感などのその他の徳と区別され、そしてそれらよりもより基本的な徳であると考えることもできる。正義は、とりわけギリシャ哲学やキリスト教においては、運命、輪廻あるいは神の予見のように、自然の摂理や超越的存在によって規律された生ないし生き方と結び付けられることがしばしばであった。しかし、現代の正義論においては、このような宇宙論的・宗教的世界観を離れて、正義を社会制度の根源を為す価値である公正さと結び付けて人間社会の枠組みの問題であると捉える傾向が強い。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%BE%A9より)

また、

義 

 「己の威儀なり。我+羊の会意」 ・・・ 「羊+我声」 と改めたほうがよい。

 「羊」 を含むのは、祥・善 に羊を含むのと同じく、ヒツジを神に捧げるギセイに常用した習慣に基づく。

 もともと宜 と同じく神への供物が くっきりとかどばって美しく揃っていること。

 <書経、文侯之命> の「父義和」の鄭注に、「義とは匹(そろう)なり」とあるのは、なお原義に近い。

 <礼記、中庸> に「義とは宜なり」とある。また<礼記、祭義> に「義とはこれに宜(よろ)しきなり」ともある。

 転じてすべてかどあるさまを義・儀 という。娥(美しい女) とも同系。※ 『漢字語源辞典』(学燈社) p.592。

また、

ここで再び唐漢氏に登場願う。彼曰く、

甲骨文字「義」

金文「義」

「義」という字は、羊と我という文字から成り立っている。ここで「羊」はこの種の頭上にある大きく湾曲した角を指す。その意味は羊の統率指導権や交配優先権を表すものだと解釈されている。そして「我」というのは古代の長い柄の一種の兵器のことであるが、形が美しく作られ実際の戦闘には不向きで、軍隊の標識用に作られたものだとしている。したがって「義」という字は、本来は「羊」の頭を指し自分あるいはグループの権力、戦闘に向かう集団の権力の誇示に並べたものであろうということである。

このことから「義」は情理・正義に合致した名目の立つ出兵を示し、公正適切な言行を指すようになったということである。

 このことから考えると先ごろのアメリカ・イギリスなどのイラク攻撃には一体いかなる「義」が存在したのだろう。一旦この「義」が地に捨てられてしまうと、後は強肉弱食のカオスの世界しか残らない。

 このことを「天地人」の作者は最も言いたかったのではないだろうか。

http://kanji-roots.blogspot.jp/2010/05/blog-post_26.htmlより

また、

「義(ただしい)」は、犠牲として神に捧げる「羊」と、これを切る鋸(のこぎり)「我」の合体した文字。「義」には悲劇がつきまとう。【『一日一書』石川九楊(二玄社、2002年)】

上記のように “正義” は 実に曖昧な言葉であることが分る。 義の語源から、戦闘を大義名分にするときに掲げる言語で、重い意味を有する言語ではないだろうか。そこで、正義の意味をきちんとさせたい。 きちんとした解釈を与えたい。

まず、世の道徳や、法や慣習が確立している範囲ならば、正義は 次の 公正の原則 で定められるのではないだろうか:

再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:

平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。(公正の原則)

1) 法律、規則、慣習、約束に合っているか。

2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。

3) それはみんなに受け入れられるか。 

4) それは安定的に実現可能か。

ところが、合戦や戦争では いわゆる約束ごと、ルールを越えて 行われるので、世の一切の法やルール、慣習を越えている。それで、その戦いを正当化する言語、正義は、極めて難しい言語であると言える。ルールは何も無く、ただ戦争の勝利者が正義を定められる と考えるべきである。これは既に 定着している 勝てば官軍 の諺に表現される。合戦には 不意打ち、だまし討ち、陰謀などは常識であり、侵略どころか、虐殺、皆殺しなども世界史には存在する。第二次世界大戦でも 戦闘力のない 敗戦真近かの国に 非戦闘員、民間人の大量虐殺を始めから意図した原爆投下などが 存在するが、戦争だから仕方がないと 世界では受け止められている。 非戦闘員は 巻添えにはしない などの慣習や道義など、一切のルールは 機能していないのが 世界史である。 ― (いわゆる戦時における 慰安婦問題などが 問題にされているが、原爆投下などの 大きな非道に目をつぶって、そのような問題を論じているのは、誠におかしいのでは?(再生核研究所声明 101 慰安婦問題 ― おかしな韓国の認識、日本の認識))。

そこで、勝てば官軍 の現実を受け止め、勝利者が正義を定める としたい。戦争、合戦は 無条件の戦いであり、生きるか死ぬかの 究極の選択と考える。これは生物界に厳然と存在する、食うか食われるかの戦いであり、究極の局面である。(そのような戦争は したくはない。戦争は ゲームのようなものではない、兵士は 権力者の消耗品ではないと言うことである。)。大和朝廷の平定、アレキサンダー大王の遠征、南アメリカへの侵略、北米の支配などなども いろいろ批判されるべき点が有っても、いわば自然法に基づいた 強い者が正義を定める を述べている。

その原理は、今でも同じで、戦いには法は無く、総合的な力が世界を動かしている現実がある。イラク進攻を見れば、歴然であり、法も無く、国連安保理事会も 未だに機能していない。若いアメリカ合衆国は 力の信仰、自由競争による自然法的発想が、もっとも強い国であるように見える。

これで、正義 は 確定し、正確に定義された。

それで、戦争に 正義を掲げるのは、この意味で意味を失うことになる。― もちろん、対立する双方が大義を掲げるのは、当然である。―

世界史は 勝利者によって書かれ、作られて来たと言えるが、その勝利者は、その時代における総合戦による勝利者であって、単に軍事だけで世界が動いたのではないと言える。植民地支配をしたり、侵略して来たのは、勝者として、それだけの力を有していたと、評価できる面が有ることを 認めざるを得ない。自然の生物界の現実が そうであると考えられる。自己防衛は あらゆる生物に与えられた、本能であり、当然の義務、基本的な義務であると考えられる。国防の戦略や災害に対する対策が無い国などは、国家の基本を疎かにしていると批判されるだろう。

再生核研究所は それでは 軍備拡張で富国強兵を考えているのかと言えば、逆である。現在の世界の状況を総合的に理解して、世界史を進化させて、和によって、夜明け前の暗い時代を 終わらせ、明るい時代を築こうと いろいろ世界の平和の問題についても 具体的に 提案を行っている:

再生核研究所声明8: 日本国の防衛の在り方について

再生核研究所声明10: 絶対的な世界の平和の為に

再生核研究所声明 25: 日本の対米、対中国姿勢の在りようについて

再生核研究所声明 53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に

再生核研究所声明 111: 日本国憲法によって、日本国および日本軍を守れ、― 世界に誇る 憲法の改悪を許すな

また、戦いに勝利しても、永い歴史のうちでは、文化力で敗北して、結局は 事実上、逆に支配されてしまったような現象は 世に多いのではないのだろうか。幾ら戦争だからと言っても 何をやっても良いでは、戦争には、戦いには勝てず、人間存在の原理や文化、慣習の尊重などは、官軍になるためには 時代に受け入れられる、それなりの大義名分が必要ではないだろうか、全体的な評価は、世界史が 判断するだろう(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

これからの戦争では 完全な勝利を得るものは無く、共倒れの可能性が高いのではないだろうか。大きな本格的な戦争に至れば、人類絶滅の可能性が高いのではないだろうか(再生核研究所声明 137: 世界の危機と 権力者の選出)。

以 上

正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。

正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。

芥川龍之介「侏儒の言葉」より

redefiningfood:

A breakfast of Golden Kiwi and freshly squeezed Orange Juice, and a Mango Soy-Yogurt Parfait featuring Passionfruit, Blueberries and Frozen Grapes. Mangoes are nearly going out of season here so I’m trying to enjoy them whilst I still can, but I know I’ll miss the delicious, inimitable sweetness of the Thai Nam Dokmai variety. On another note, I just discovered the awesomeness that is frozen grapes! They’re like fresh, ice-cold candies that burst in your mouth…mmm. 

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