Photograph by John Moore—Getty Images
“I sped out to the airport, met up with my charter pilot and we set off in a Robinson R-44 Raven II helicopter into a stiff headwind for the 45 minute flight to the ‘target,’ as he put it,” photographer John Moore tells TIME. He was on assignment for Getty Images on May 14, 2013, tasked with shooting aerial photographs of the iconic JetStar roller coaster in Seaside Heights, New Jersey; now slated for demolition more than six months after Hurricane Sandy had “tossed it in the Atlantic Ocean.”
“I had originally planned to fly later in the afternoon, a little closer to sunset, for the best light,” Moore says, until a tip came in from Getty staff photographer Mark Wilson, who was shooting the scene from the ground, that “the crane was making quick work of it and that I’d better hurry and get up in the air before it was all gone.”
“We flew in circles over the scene for about 25 minutes at varying altitudes, hoping to get a moment when the crane would lift a large piece of the debris from the surf,” he says. The photograph above, featured in this week’s issue of TIME and in LightBox Pictures of the Week, was made “from a height of about 500 feet, shot in the mid-afternoon with a high shutter speed in order to eliminate any possible camera shake from the helicopter.”
“You can see the beach of the Jersey Shore stretching northward, much of it, unlike the jagged pier, restored ahead of the upcoming tourist season, which begins anew with Memorial Day Weekend,” Moore adds. “Local business owners and residents hope the tourist income will help Seaside Heights get back to normal after Sandy’s cruel seas washed so much of their community away.”—Eugene Reznik
再生核研究所声明 119 (2013.5.18): 冷酷な神々、自然 ― 見捨てられた 人類
これは 宗教上の神々を意味せず、人類を助け、救ってくれるような存在は無く、人類の生存の可能性は ひとり 人類の努力に任されていると言うことを表現したものである。
声明
再生核研究所声明86(2012.4.25): 未だ おめでたい人類 - 先史時代:
人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の可能性の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。以下略。
次も想起して置きたい:
再生核研究所声明 114: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する
人類を生み、育くんで来た自然とて、優しい存在では無く、絶えず変化し、環境の破壊や汚染で、自然とともになどとは 言っていられない状況である。食物連鎖の法則や老、死などは 生命の本質として、世界を観なければならない。誠、造物主がおられて、このような厳しい状況を創造されたとすれば、それは極めて非情であるとも考えられる。あらゆる生命を肯定するということは、食物連鎖の法則や老、死などを諒として、受け入れなければならない。 否、生命の存在を肯定できる それらを越えるものが 有るだろうかと思考する。 在ることの意義として、 感動を考えれば (再生核研究所声明 12 : 人生、世界の存在していることの意味について) 愛、学問、芸術、こそ;真、善、美、聖の追究こそ、人間としての生きがいである ということになる。 ここで 特に愛とは、男女の愛、親子の愛から始まって、共生、共感、共鳴を伴う好ましい関係、喜びを与える関係である。学問とは 真理の追究であり、芸術とは、生命の表現である。 聖とは、神性を有する人間が大義に生きることである。広大な宇宙で 地球は極めて孤独な存在であり、宇宙の特異点であると理解できる。宇宙を理解するには この地球に宇宙を反映させる他 手段は無い (再生核研究所声明 116: 宇宙空間、星間交流から人間を考える )。
孤独で、哀しい運命を共有する 弱い人類は 団結し、生態系を大事にして、家族のように 共生、共感、共鳴できるようにしようと 訴える。それが この声明の趣旨である。上記 造物者とは、生命にとっては、人間にとっては 真実 両親であり、親ほど有り難いものは 世に無い。
以 上
「アイデンティティ」や「マイノリティ」と言った凄い深い意味があるけど日本語には無い言葉ってありますよね
こういうのは西洋哲学で生まれた言葉なんですか?
例えばアイデンティティとか凄い深い意味というか
人間の心理の中で重要な意味があると思いますがこれが日本語で生まれなく英語でしか存在してないのはあんぜなんでしょう
アイデンティティやマイノリティと言った用語はなんかの哲学書で出てくるんですか?
またテーゼとかアンチテーゼとか意味聞いても「だからなんだよゴミが!!」程度にしか思いませんがアイデンティティやマイノリティとかは凄い重要な意味がありますよね
他にもこういう言葉はありますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12107350222
これはいろいろな民族が 交流する背景から 生まれたのでは?
後者は 哲学から出た言葉では。
言葉は 概念を含み 創造性から、或いは文化から 出ていますね。
文化背景は 大いに参考になりますね。
“First Evidence for Extraterrestrial Sources of High-Energy Neutrinos” —Reports Antarctica Observatory
Although cosmic rays were discovered 100 years ago, their origin remains one of the most enduring mysteries in physics. Until now. A massive telescope at the IceCube Neutrino Observatory in the Antarctic ice reports the detection of 28 extremely high-energy neutrinos that might have their origin in cosmic sources. Two of these reached energies greater than 1 petaelectronvolt (PeV), an energy level thousands of times higher than the highest energy neutrino yet produced in a manmade accelerator.
“We’re looking for the first time at high energy neutrinos that are not coming from the atmosphere,” says Francis Halzen, principal investigator of IceCube and the Hilldale and Gregory Breit Distinguished Professor of Physics at University of Wisconsin–Madison. “This is what we were looking for,” he adds.
Because they rarely interact with matter and are unimpeded by gravity, neutrinos can carry information about the workings of the highest-energy and most distant phenomena in the universe. Though billions of neutrinos pass through the Earth every second, the vast majority originate either in the sun or in the Earth’s atmosphere. Far rarer are high-energy neutrinos that may hail from the most powerful cosmic events — such as gamma ray bursts, black holes, or star formation — where they would be created in association with high-energy cosmic rays that can reach energies up to thousands of PeVs.
Postdoctoral fellow Nathan Whitehorn described 28 high-energy neutrino events captured by the detector between May 2010 and May 2012. These events, including two that exceeded the unprecedented energy level of 1 PeV, were one of the main goals for building a detector such as IceCube.
“Their properties are strongly inconsistent with what you would expect of atmospheric sources and are almost exactly what you would expect from an astrophysical source,” Whitehorn says. It is premature to speculate where these neutrinos originated, he adds, but the IceCube collaboration is continuing to refine and expand the analysis.
IceCube is comprised of more than 5,000 digital optical modules suspended in a cubic kilometer of ice at the South Pole. The National Science Foundation-supported observatory detects neutrinos through the tiny flashes of blue light produced when a neutrino interacts with a water molecule in the ice.
The first hints of high-energy neutrinos came with the unexpected discovery in April 2012 of two detector events above 1 PeV. An analysis of those events was reported last month in a paper submitted to the journal Physical Review Letters. An intensified search, led by Whitehorn and fellow WIPAC scientists Claudio Kopper and Naoko Kurahashi Neilson, turned up 26 additional events exceeding 30 teraelectronvolts (TeV; one-thousandth of a PeV), which will be described in a forthcoming publication.
The Daily Galaxy via http://www.news.wisc.edu/21790
再生核研究所声明83(2012.4.11) 再生核研究所声明とは 何か
(2012.4.5.16:30 研究室において、論文執筆で疲れ 休憩していたときに、ひとりでに閃いたものである。)
再生核研究所声明とは、いわば、人生の大部分を 大学において、数学の研究で送った者が、人生、社会を観、世界の在りようについて、纏めた、意見表明である。 その心は、どうして、人間は未だ野蛮な時代を送っているのか という発想である。人生、世界における認識は、ソクラテス、お釈迦様、孔子様、ゲーテ、アインシュタインを越えていて、声明は人を導き、人生の指針を与えると思われる。
何故、そう言えるか? まず、人類は未だ、人間存在の意義について、明確な言葉を得ていない。実際、人生とは何か と問われれば、それは分からない と答えるのが、世の常識ではないだろうか。 また、すべての人間にとって、最も大事なこととは何か と問われれば、答えられず、解答を聞いて、多くの人は 始めてぼんやりと理解できるだろう(再生核研究所声明13:第1原理 ― 最も大事なこと)。
ゲーテもアインシュタインも人生について同じような心境に達していたとみられる。彼らは、人生の実相を良く捉えていたが、それらの心境では、生命と人生の在るべき姿に対して 不十分であると考える。実際、人は、両者の境地で、道を、人生を 彼らの指針を得て、確かに歩めるであろうか。実際、人は夢中で活動し、生きれば良いと言っているようにみえる。お釈迦様も、ソクラテスも、孔子様も、多くは いわば、当たり前のことを述べており、如何に生きるべきかについて、多くの部分で不明であり、つまずき、人をして、迷わせている面もあることを認めざるを得ない。多くの仏教徒は何をしてきたのだろうか、多くの哲学者は何をしてきているのだろうか、儒教はどうなっているのかと問う。実際、人は、それらの教えで、確かに生きられるであろうか。実際、近代科学がきり拓いた真実、実相、基本的な世界の理解、認識から、我々は多くを学ばなければならない。
人間存在の意義と有るべき姿の原理は、再生核研究所声明12:
人生における基本定理
・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、
「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」
という言葉がわいてきた。
「人間としての存在の究極の意味、価値は」
「人類の目指すべき基本的な方向とは」
これらの基本的な問いについて、全体的に、直観として得た解は、
「人生の意義は、感動すること にある」
というものである。
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。
この見識が、言明が、孔子様を越えていることは、明らかである。社会の問題も 再生核研究所声明 1 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは: で、公正の原則で、社会のあるべき指針は 自明のことであるとした: 平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か。
ゲーテのファウスト、ファウスト博士が到達した境地、アインシュタインの人生に対する見解:自転車は走り続けなければ倒れてしまうは 同じような人生の実相を示しているが それは 再生核研究所声明 72: 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 の断片を表現しており、双方の見解は 人生、世界のあるべき姿についての考察を 中断しているようにみえる。また、ゲーテとの対話を読めば、ゲーテが素晴らしい頭脳と感性、知識を有していたにもかかわらず、お釈迦様の知恵の面から観ると 平均的な日本人くらいの知恵しか有していなかったことを知って 愕然とするだろう。西欧の文化必ずしも質、高からず、お釈迦様の世界をもって、秀と考える。
お釈迦様とソクラテスの 生と死、悟りについては、
再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 63: 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心 得
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
などで、両者を越えた真実と境地を表現していると考える。
人類は 未だ無明の野蛮な時代にある。世界史の夜明けを迎えるために、暗い時代を終了させ、世界史を進化させたい との願いを込めて、人生、世界、社会、教育など広範な分野にわたって、各論について、意見表明を行っている。 その意気は 知能の高い、進化した未来人が書く、世界史の評価に耐えられるようにとの心にある ―― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判。
そこで、人生、世界の在りようについての再生核研究所声明を、数学における定理のように 世に広め、活用、学習して頂きたいと考える。 それらは必ず、世界史の進化に 貢献するだろう。 政治や世界平和の問題などは、言うに及ばず、簡単である。世界史は、何を まだ ごたごたしているのか といっている。再生核研究所声明は 人生、世界の在るべき姿ばかりではなく、生命の目標を はっきりと示している。
以 上
再生核研究所声明 117(2013.5.10): 時,状況が問題; タイミングの重要性 、死の問題、恋の問題
真理や在るべきことについて、 ややもすると普遍的に、また 不変的に語られることが世には多い。しかしながら、在るべきことは、時間と状況、環境によって、絶えず変化するものである という視点に 想いを致したい。
まず、8才の天才少年に会った日の強力な印象から 要点を簡潔に触れたい(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える):
その日、数学や、物理学、化学など広範に話したのであるが、最後の方に、社会には政治とか、経済などの大きな問題が有るばかりではなく、人生には原罪とか、死の問題など根本的な問題が有る と述べた。ところが、その死の問題について、平然と 私は70才くらいまで生きるので、死の問題を考えるのは まだ早すぎると言ったものである。― この問題の回答について、 天下の秀才、元東大教授にご意見を 畏れ多くも尋ねたところ、 確かに 私は死の問題 小さいころ、考え 悩まれた とおしゃっていました。私も このような性格です ― (夜明け前 よっちゃんの想い(文芸社) 序文)。― (死の問題や、人生の切なさ、無常観に敏感な人や そうでない人がいるが、 私が気になってきたのは 優秀な人たちが、意外に割り切りが早く、 達観しているような面がみられること。本来そうあるのが健全で、 人類が進化すれば、 当然のことと感性的に受け入れられるように なるのではないかという、 存念を持っている)。― 尊敬する、相当な物理学者に、人生の意義は と 尋ねたところ、 あっさり、そういう問題は考えないと、即答されたのは 記憶に 鮮明に残っている。
死の問題は、年齢によって、感じ方、考え方が変わってくるので、無理に 大げさに問題にすべきではないと言いたい。 仏教を尊敬しているような人たちでも あたかも 人を脅かすように 死の問題を大きく取り上げて、宗教を勧誘しているような状況は 広くみられるが、それは お釈迦様の教えと精神にも反しているのは 明らかである。 死の問題は、年齢、環境、人の個性によって捉え方は様々であり、対応は 個人個人によると言うことである。しかしながら、一般的には、道理として、恋をして、子を儲け、子が子を儲け、両親や恩師、友人などを失っていくと、ひとりでに 死とは避けられず、自然で、 安らかな 睡眠と同じように 自然に受け入れられるようになるものである。無理矢理に 宗教や真理や理屈をこねて 納得させる性質のものではないと言える。
恋の現象など、極めて、本能原理に左右されていて、あたかも遺伝子が 次の生体を求めて、暴れているようである。恋に陥っている者は まるで熱病に取りつかれているように見える。
そう、我々が 我々の生命が新しい生体を求めて激しく躍動しているのである。 その時こそ、恋の時期ではないだろうか。その劇情が 魂を浄化させ、多くの詩歌、芸術を生み出し、生命を活性化させるのである。 しかしながら、それは恋の原理(再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 )によって、長続きはせず、次の段階に進んで、移行していくものである。
芸術、学問、スポーツ、趣味、さまざま人間の関心、興味の取得には、それぞれ個人の個性によるばかりではなく、触れられるべき時期についても、それぞれ個性によると考えられる。それ故に 人は自分の個性、生命が何を求めているかを絶えず、自分に問うて、自分に合った様に対応するのが 大事ではないだろうか。 また教育に携わる者は 相手の状況の理解に努め 適切な対応が求められる。
教育とは 本来はそうあるべきであるが、公教育で、細かい対応は 事実上不可能であるから、このような視点を重要視して、 あまり画一的にしないで、自由な部分を多く取り入れるような 配慮が重要であると考える。
心はころころと変わって行くものである。心の動き、時期をしっかりと捉えるようにしたい。
食欲に対する対応と同様と考えられる(再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること)。
必要なとき、必要なだけ、いろいろな変化を持たせて。知るにも時期と内容が大事、悟りも早ければ良いと言うものではなく、その過程と質が大事。人生においては 成果や到達点よりも、過程が大事である。
以 上
もし日本人が勉強好き、研究熱心でなければ世界に
名だたる製造業の国にはならなかっただろうと思うの
だが・・・どう思いますか?
関連質問:
「日本人はどうして勉強好き?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310722745…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14107231644
日本人は本当に勤勉ですね。 国民性でしょうか。
几帳面、真面目、 繊細さ 高級好みが有りますね。
素晴しい、国民性ですね。
日本の文化は、高質ですね。
再生核研究所声明34(2010/04/16):
日本のビジネス―日本料理店の海外展開
日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。
先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。
これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。
具体的に 次のように提案したい:
経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、
文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、
外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、
国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。
日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。
既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。
美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。
以上
Source: Uploaded by user via Linda on Pinterest
理解と、また認識と愛は違うのか?・・・
その人の事はよく知らない、でもその人のことは非常に
愛しているーーーこういうことがあってもよいと、あなた
は思いますか?
もし思うのであれば、哲学のことはよく分からない、でも
哲学を愛している、--ということがあってもよいという
ことになりますよね?
で、哲学と言う言葉の語源は「知を愛する」ということな
んですよね? そしてまた「知」のこともよく分からない。
でも、私は知を愛するーーーこういうことがあってもよい
ですか?
思われることをお聞かせください。
PS
しかし考えてみれば、あなたが愛していると言っている
人のことを、本当にあなたはよく知っているのですか?
どれほどに?
理解と、また認識と愛は違うのか?・・・
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11107263306
哲学は、真智への愛、 真智を求めることですから、 知を愛する、好きも適当ですね。
大いに結構ですね。 人間らしい営みですね。







