再生核研究所

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Vintimille, Italie

Argentique

 
再生核研究所声明 72(2011/12/06) 
慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則
 
まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)
いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 の第1法則(慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。  要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 
この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。
人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。
日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67:  脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 
それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものも
そうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。
もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。
少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。
 

以 上

 

再生核研究所声明 722011/12/06) 

慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則

 

まず、 ルネ・デカルト - Wikipedia から慣性の法則を抜粋しよう:(デカルトは、物体の基本的な運動は、直線運動であること、動いている物体は、抵抗がない限り動き続けること(慣性の法則)、一定の運動量が宇宙全体で保存されること(運動量保存則)など、(神によって保持される)法則によって粒子の運動が確定されるとした。この考えは、精神に物体的な風や光を、宇宙に生命を見たルネサンス期の哲学者の感覚的・物活論的世界観とは全く違っており、力学的な法則の支配する客観的世界観を見出した点で重要である。)

いわゆる 慣性の法則 は、 ニュートンの運動法則 1法則慣性の法則)で、外力が加わらなければ、質点はその運動(静止)状態を維持する。(力を加えられない質点は等速度運動(等速直線運動)を行う)。  要するに 動いているものは そのまま動き、止まっているものは そのまま止まっているという法則である。 

この法則は、 物理法則としてばかりではなく、 人生、社会の人世、精神、生命などの在りように普遍的に存在する いわば、連続性を表す 世の法則 ではないだろうか。 この観点からいくつかの考察を行い、世と上手く付き合っていく心得、人間の在り様としての心得について触れておきたい。

人は 人生とは何か、生命とは何か、生きる意味を 繰り返し問う。 この難しい問題を足もとから、現、在から考えてみよう。 今日あれば、 昼には昼食をとり、夕べには 夕食をとるは 相当に大事な 今日の要素である。 ― 実際、 夕食がとれないような状況が有れば、それは人生の意味などを超えて 全ての人間にとって重大であろう。 ― 仕事や予定が有れば、 何時ものようにやり、 少し上手く行けば、 それだけ充実感がするだろう。 在り様は もちろん、 個人にとって、人生そのものである。 人生とは それ以上のものではない。 今日の在り様は 多くは昨日から、 決まっていて大きな変化が有っても 既に準備されているものである。 今日あるから、 明日も 今日のように生活することになる。 このように 人生とは繰り返えされてきたものである。 子供のころの生活も同じように 少しずつ繰り返しながら、 変化してきて、 現在に至ったのである。 それは個人の人生ばかりではなく、 動物としても、生物としても 少しずつ慣性の法則に支配されているように 展開して来ているのである。 それらの背後には 大きな生命の営みが感じられるが その本質は 定かには分からない。 我々の自由意志は 本能原理の上に わずかに存在するが、大きな生命の営み、日常の連続性によって働いており、その大いなる流れの上にあることに想いを致せば、 大きな迷いや不安から、解放されるだろう。 その流れを観、感じ、捉えることが肝要である。 多くの人は両親や近い人の終末から、自分の終末を予感し、覚悟し、 子供たちの終末を予感するだろう。 永い間、代代繰り返えされてきたのだから、 私もそうなるだろうと悟るだろう。 およそ人生とは そのようなものである。 然り 大河の中の一滴のように である。 世の、始めも、終わりも、人生の始めも、終わりも、定かには分からない。 ただ大きな流れの上に生きているということである。 大きな変革も、ちょうど地震のように エネルギーが次第に高まり、 その流れの中で起きたものである。

日本社会をみても、大震災による原発事故、増大する膨大な債務、政権交代も同じように考えられる。40年以上も稼働して来たものが、稀有な天災で甚大な被害を受けた、しかしながら、今まで築いてきた膨大な設備を、それでは直ぐに廃止とは行かないのは 当然である(再生核研究所声明 67  脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論)。どうしようもない膨大な債務と財政難も同様である。大きな船の舵のように、急には財政改善とは行かない、改善は総合的な難問ではないだろうか。政権交代も、自民党の長期政権が疲弊、衰退し瓦解により、政権交代はしたものの、外交、軍事、財政、経済、何れも急には変えられないのは 道理であり、現実の日本の上に 政治を進めるためには、そんなに変えようがないという苦しみを 現政権にみることができる。それは大きな政治社会、大きな国の機構、現実を見れば 当然であり、菅氏が人間性の観点から批判されたのは 当然としても(再生核研究所声明 71:菅 暗黒政権を総括する)、鳩山氏の過ちは小さく(再生核研究所声明 59: 鳩山政権の総括と反省)、野田首相はしっかり バランス良く賢明に政治を進めていると 高く評価されるべきである。 要するに、現実の日本が有る限り、 そう簡単には 変えられないというのは、 慣性の法則の重要な視点である。永い歴史が有って現在がある、 歴史の流れの上に、 明日からの未来を少しずつみつめて 着実に歩みたい。 歩んで来た過去をしっかりみれば、 明日の在るべきことは 相当に決まっているものである。 

それを歴史的必然とも表現できよう。 現在、未来は 過去の歴史から、慣性の法則で、押し出されていくものであり、 自由を行使する判断でさえ、過去の積み重ねられた知識、体験の学習の結果であり、 多くは慣性の法則で 動いていると言える。 我々が創造と呼んでいるものも

そうである。 積み重ねられたものから、生命作用として、噴き出ているのである。 それゆえに、歴史を真面目に捉え、飛躍が無いような、総合的な、大きな視点を持つように心がけたい。

もちろん、震災、財政危機、政権交代などの社会現象は 世界史で 繰り返し 繰り返し展開されてきたことである。

少子高齢化、教育の問題、産業構造と失業問題、環境問題など、何れも局所的対応、単細胞的思考では対応できず、各々の専門性を超えた 総合的、全体的な視点が大事である。 そのような視点を国民が全体的に持ち、 対応する力が無ければ 混乱と破局を早晩迎え、それも1時代の現象と評価されることになるだろう。 実際、我々は沢山の 世紀末的現象を 世界史の中に 見出すことができる。 世界は 大きな流れの中で、成るように成るものであると 半ば悟った様な心持ちは 視野を大きくさせ、賢明な有り様を選択させるだろう。

 

以 上

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New Protest MVP Candidate! Get it girl! #staywoke #farfromover #thefutureisbright

再生核研究所声明 512011.3.4):  ツイッターにおける 意義と心得

 

ツイッターが 盛んになって、世論や政治にも大きな影響が出るようになってきた。 また、俳句や、和歌のような 趣味の一種、楽しみの一種になっている者も多いのではないだろうか。 自戒も込めて、ツイッターの意義、注意や問題などについて、考察し、ツイッターの世界をより楽しく、充実させるようにしたい。

ツイッターの原語は 呟き という、呟きとは、小鳥が 少し囀る ように、何か気持ちを、本音を率直に、短的に表現するものではないだろうか。 純粋、呟きは、したがって、先ずは 率直な気持ちの表現である ということになるのではないだろうか。 先ず、このもともとの意味 を尊重したい。 従って ツイッターの世界には 人々の率直な 心の、気持ちの世界 が反映されていると理解できる。将来、万葉集のように 人々の様子を写した 貴重な記録にもなる可能性が高いのではないだろうか。

しかしながら、それらとは裏腹に、直ちに公開する というところに、日記や自分の記録とは違った意味、すなわち、多くの人に伝えたいという、明確な意思があり、更に公開には、

 

1)インターネットを通して どこまでも広まること

2)インターネットの世界で、記録され、検索され、長く保存され、修正が、事実上できない状況になっている ということである。

 

このような状況は、間違ったことや、修正しなければならないようなことは 迂闊には書けない ということを意味する。 注意したい。

一応 フォローという特定の人が自然に見られる建前であっても、上記2件から、逆に自分の意志を広範囲に伝えたい、あるいは何かの宣伝に、仕事などに活用したい と考えるのは当然である。従って

A) 政治問題や社会問題についての見解、提案、批判、建議など、社会問題が大きな比重を占めるのは当然である。

B) 仕事、ビジネスなど 適当な活用は当然であるが、行き過ぎると 仲間に嫌われる可能性が高いのではないだろうか。

C) 市民生活における 話題、いろいろ面白い話題や、変わった話題で、人々が興味を持ちそうな話題は 歓迎されるのでは。

D) 教育問題、人生問題、哲学、科学の問題についても 前向きに考えられる話題として挙げておきたい。

 

ツイッターの 他の特徴としては

 

川の流れのように、呟きは、どんどん流れ、偶然に覗いていた人だけが見るだけで、殆どは注目されないで、ツイッターの世界からは 消えて行ってしまうという 儚さ、空しさである。

 

そのために、空しさを承知で、深入りをせず、自分の生活とペースを整えて、気持ち良く、呟くのが良いのではないだろうか。 

社会や世の中にとって良いと思われるものについては、リツイートして、どんどん世に拡散して、世の中を明るくしたい、文化レベルの向上に、情報環境の美化にも 利用したい。

賛否の意見表明、同感、反対など、返信して、一方的でない交流も大事で、貴重なものになるのではないだろうか。

長期の保存と長文が可能なブログなどと併用すると 自分の意見を表明する機会を 大幅に増やすことができ、外国語が得意な人は 更に国境を越えて 意見を表明できる機会を得るので、積極的な取り組みを期待したい。 間もなく、いろいろな言語に翻訳されて、言葉の壁も乗り越えられる時代が近いのではないかと期待される。

簡単に意見を広く表明できる時代とは、新しい時代の夜明け ではないだろうか。 多くの人の意見が 自由に交流できる世界とは どのような世界になるのか、いろいろ問題点などをも含めて 注目し、今後の問題点、影響などについても検討して行きたい。 例えば、多くの呟きから、価値あるものを選択して、得る方法などが 基本的な問題ではないだろうか。 実際、沢山の人々が自由に 呟けば、どのようにして、価値ある情報を得るかは、本質的な問題になる。 雑情報に 時間をとられる危険性が高いからである。

人間とは、じんかん であり人と人の交流が 生きている証拠 でもあるから、大きな自由性と可能性を創造された、このようなシステムの考案者及び管理運営を行っている方々に対して、敬意と謝意を表したい。

 

以 上

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Relaxing by the river watching the sun go down.

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か
 
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
 

以 上

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Relaxing by the river watching the sun go down.

再生核研究所声明802012.03.20)  挑戦 とは 何か

 

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)

およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。

しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 

されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理  最も大事なこと)。

さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12 人生、世界の存在していることの意味について)。 

そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。

まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。

次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。

次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。

挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

 

以 上

再生核研究所声明 8 (2007/08/01): 日本国の防衛の在り方について
              
国家には多かれ少なかれ軍隊が必要であり、国の治安を維持し、国に住む民の安全を保障することは、国家の最も基本的な任務である。そのために軍事費と軍関係の経費は、この21世紀を迎えても、多くの国々で国費の大きな部分を占めている。日本の2000年近い歴史の中で、日本をまともに攻めて来たのは、所謂蒙古襲来と第2次世界大戦だけであり、あとは逆に侵略の戦争であり、その他における日本の軍の多くの役割は、国内統一と治安の維持の役割を果してきたと言えよう。現在の国際状況と国内状況は、侵略を受ける危険性と国内治安上の観点からどのように評価されるであろうか。
まず、侵略を受ける危険性は殆どないと言えよう。殆どでは国の安全は保障されず、よって不安であるという意見が出て来ると考える。先ず北朝鮮がロケットを発射して日本を脅かす、中国軍の増強は危険である、韓国が日本の領土を侵す。ロシアが日本の国境を侵すなどの不安があると考える人がいるだろう。北朝鮮の問題は最も危険であると考えられよう。これらからの安全の為に、集団防衛構想を進め、いわばアメリカの傘の中で日本の安全を保障していく戦略が、実際、現在の日本政府の基本的な方針であると考えられる。安保条約もその現れと解釈できよう。 しかしながら、果たしてそうであろうか。仮にロケットを発射して日本を脅かし、或いは実際にロケットその他で日本を攻撃してきたとき、日本が何の抵抗もしなかった場合、北朝鮮は攻撃を続け、何か利益を得る事ができるであろうか。第2次世界大戦以前ならばいざ知らず、現在においてはもはやそのような事はあり得ないと考える。日本の国際社会における大きな役割と国際社会の発展は、決してそれらを許さないと考える。日本の経済活動が停滞すれば、アメリカも中国も、また、国際社会も直ちに重大な被害を直接受けるからである。もっと重要な観点がここで考えられよう。超大国アメリカは軍事大国であり、国是として自由と正義を希求し、正義のためには戦争も辞さない、いわばエネルギー溢れる国であるということである。イラク問題ではアメリカの正義は揺らいでいるが、3500名以上の犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけて出兵しているのは、アメリカの国益がかかっているものの、大義としては、世界の正義 (大量破壊兵器の破壊と独裁主義の排除)とアメリカのエネルギ-の高まりと理解されよう。世界の平和と正義のための、アメリカの民主主義と力を重く評価したい。他に触れた危険性については、遙かに危険性の小さなことで、国境のいざこざが生じても大した問題ではないと判断される。実際、2000年来1度も侵略してきたことのない国々に対して危険であるというのは、逆から考えれば大変失礼なことではないであろうか。
第二の国内治安上の問題については、日本は大変よくまとまった民主主義国家であるから、殆ど問題はないと判断される。しかしながら、この点において、日本の防衛は危うい、ということを特に触れておきたい。日本人の心を痛めている、所謂拉致問題であるが、これはいわば国内治安の脆さを露呈したもので、このような事を許した日本国の責任は重大であると考える。日本の領土、海、空を侵されては、国家としての形は整わず、防衛構想の根本的な在り方についての点検と強化が必要であると考える。これは平常兵器による国防の強化と情報戦に対する強化を意味しています。
以上の考察のもとに、日本国の防衛構想と防衛戦略を提案したい。 まず第一に、日本は1度の敗戦で、独立心と自信を失ってきていて、アメリカ従属の精神から抜け出せないのは誠に残念である。歴史と外交は重いものであるから現状を一旦尊重して、今後の方向を慎重に検討していく必要がある。アメリカの民主主義と力を重く受けとめて、日米安保条約はこれを当面堅持していくとして、方向としては
 
1) 駐留なき安保を目指し、
2) 軍事的には、アジア諸国に脅威を与えないように、縮小する方向
 
で努力することとしたい。アメリカの要請を受けて、安保条約の強化と軍事的な貢献を求められている状況があるが、日本は平和憲法の精神で、アメリカの軍事力も世界の軍事力も縮小していく方向で努力していくものとしたい。これはアメリカと世界の利益にも叶う道であるとしたい。さらに、
 
イ) 兵器開発や軍事産業、研究を、民生を豊かにし、環境を保全していく方向に転換させ、力を向け
ロ) 平和のために、憲法の精神のもとで積極的に努力し、軍事費の減少を世界的に働きかけていく
 
ように努力したい。日本の軍隊は防衛に徹して、平常兵器による日本の陸、海、空を防衛し、特に情報戦に備えるための強化に努める。特に世界の状況を絶えず深く分析して、危機に有効に対処すべき戦略を練り、具体的な対応ができるようにすること。上記考察に従って、軍事費は縮少させ、質的な強化の方向を目指すものとする。
 
ところで、日本は世界の平和のために、軍事を含めて、さらに貢献すべきであるという見解が表明されていて、そのために憲法を変えるべきであるという見解が出てきている。これは理論的にはよく分かる見解であり、将来検討の余地があると考える。これについて、次の3点を指摘し、当分これは見合あわせ、内政の充実と経済力の強化に努めるべきであると考える。
 
A) 世界の正義を決める国際連合は、所謂戦勝国が中心になって作った国際機関であり、日本は正当なる処遇を受けていないので、正当なる処遇を受けるまで、国際社会に対して軍事的な貢献を果たす責任はないこと。
B) 国、地方団体の借金が1000兆円を越え、年々大幅な財政赤字を抱えている現状では、国際貢献どころか、日本が国際社会に迷惑をかけないで、やっていけるような状況を作り出せるまで、全力を尽くして内実に努力すべきである。国内は既に大きな歪みを抱えている。
C) 国内政治状況を見ると、憲法を改正して、良い憲法ができるどころか、悪い憲法になってしまう危険性が逆に大きく、現在憲法を変える能力が、日本国には未だ欠けていると判断される。

以上

再生核研究所声明 8 (2007/08/01): 日本国の防衛の在り方について

             

国家には多かれ少なかれ軍隊が必要であり、国の治安を維持し、国に住む民の安全を保障することは、国家の最も基本的な任務である。そのために軍事費と軍関係の経費は、この21世紀を迎えても、多くの国々で国費の大きな部分を占めている。日本の2000年近い歴史の中で、日本をまともに攻めて来たのは、所謂蒙古襲来と第2次世界大戦だけであり、あとは逆に侵略の戦争であり、その他における日本の軍の多くの役割は、国内統一と治安の維持の役割を果してきたと言えよう。現在の国際状況と国内状況は、侵略を受ける危険性と国内治安上の観点からどのように評価されるであろうか。

まず、侵略を受ける危険性は殆どないと言えよう。殆どでは国の安全は保障されず、よって不安であるという意見が出て来ると考える。先ず北朝鮮がロケットを発射して日本を脅かす、中国軍の増強は危険である、韓国が日本の領土を侵す。ロシアが日本の国境を侵すなどの不安があると考える人がいるだろう。北朝鮮の問題は最も危険であると考えられよう。これらからの安全の為に、集団防衛構想を進め、いわばアメリカの傘の中で日本の安全を保障していく戦略が、実際、現在の日本政府の基本的な方針であると考えられる。安保条約もその現れと解釈できよう。 しかしながら、果たしてそうであろうか。仮にロケットを発射して日本を脅かし、或いは実際にロケットその他で日本を攻撃してきたとき、日本が何の抵抗もしなかった場合、北朝鮮は攻撃を続け、何か利益を得る事ができるであろうか。第2次世界大戦以前ならばいざ知らず、現在においてはもはやそのような事はあり得ないと考える。日本の国際社会における大きな役割と国際社会の発展は、決してそれらを許さないと考える。日本の経済活動が停滞すれば、アメリカも中国も、また、国際社会も直ちに重大な被害を直接受けるからである。もっと重要な観点がここで考えられよう。超大国アメリカは軍事大国であり、国是として自由と正義を希求し、正義のためには戦争も辞さない、いわばエネルギー溢れる国であるということである。イラク問題ではアメリカの正義は揺らいでいるが、3500名以上の犠牲者を出し、膨大な軍事費をかけて出兵しているのは、アメリカの国益がかかっているものの、大義としては、世界の正義 (大量破壊兵器の破壊と独裁主義の排除)とアメリカのエネルギ-の高まりと理解されよう。世界の平和と正義のための、アメリカの民主主義と力を重く評価したい。他に触れた危険性については、遙かに危険性の小さなことで、国境のいざこざが生じても大した問題ではないと判断される。実際、2000年来1度も侵略してきたことのない国々に対して危険であるというのは、逆から考えれば大変失礼なことではないであろうか。

第二の国内治安上の問題については、日本は大変よくまとまった民主主義国家であるから、殆ど問題はないと判断される。しかしながら、この点において、日本の防衛は危うい、ということを特に触れておきたい。日本人の心を痛めている、所謂拉致問題であるが、これはいわば国内治安の脆さを露呈したもので、このような事を許した日本国の責任は重大であると考える。日本の領土、海、空を侵されては、国家としての形は整わず、防衛構想の根本的な在り方についての点検と強化が必要であると考える。これは平常兵器による国防の強化と情報戦に対する強化を意味しています。

以上の考察のもとに、日本国の防衛構想と防衛戦略を提案したい。 まず第一に、日本は1度の敗戦で、独立心と自信を失ってきていて、アメリカ従属の精神から抜け出せないのは誠に残念である。歴史と外交は重いものであるから現状を一旦尊重して、今後の方向を慎重に検討していく必要がある。アメリカの民主主義と力を重く受けとめて、日米安保条約はこれを当面堅持していくとして、方向としては

 

1) 駐留なき安保を目指し、

2) 軍事的には、アジア諸国に脅威を与えないように、縮小する方向

 

で努力することとしたい。アメリカの要請を受けて、安保条約の強化と軍事的な貢献を求められている状況があるが、日本は平和憲法の精神で、アメリカの軍事力も世界の軍事力も縮小していく方向で努力していくものとしたい。これはアメリカと世界の利益にも叶う道であるとしたい。さらに、

 

イ) 兵器開発や軍事産業、研究を、民生を豊かにし、環境を保全していく方向に転換させ、力を向け

ロ) 平和のために、憲法の精神のもとで積極的に努力し、軍事費の減少を世界的に働きかけていく

 

ように努力したい。日本の軍隊は防衛に徹して、平常兵器による日本の陸、海、空を防衛し、特に情報戦に備えるための強化に努める。特に世界の状況を絶えず深く分析して、危機に有効に対処すべき戦略を練り、具体的な対応ができるようにすること。上記考察に従って、軍事費は縮少させ、質的な強化の方向を目指すものとする。

 

ところで、日本は世界の平和のために、軍事を含めて、さらに貢献すべきであるという見解が表明されていて、そのために憲法を変えるべきであるという見解が出てきている。これは理論的にはよく分かる見解であり、将来検討の余地があると考える。これについて、次の3点を指摘し、当分これは見合あわせ、内政の充実と経済力の強化に努めるべきであると考える。

 

A) 世界の正義を決める国際連合は、所謂戦勝国が中心になって作った国際機関であり、日本は正当なる処遇を受けていないので、正当なる処遇を受けるまで、国際社会に対して軍事的な貢献を果たす責任はないこと。

B) 国、地方団体の借金が1000兆円を越え、年々大幅な財政赤字を抱えている現状では、国際貢献どころか、日本が国際社会に迷惑をかけないで、やっていけるような状況を作り出せるまで、全力を尽くして内実に努力すべきである。国内は既に大きな歪みを抱えている。

C) 国内政治状況を見ると、憲法を改正して、良い憲法ができるどころか、悪い憲法になってしまう危険性が逆に大きく、現在憲法を変える能力が、日本国には未だ欠けていると判断される。

以上

再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
(再生核研究所声明に関心を抱く人から、最近の朝ドラの展開について 所見を求められたので、纏めてみることにした)
まず、NHKのドラマ制作の能力は 実に素晴らしく、どうして、あのように美しい画面、演出ができるのか不思議で、不思議で仕方がない。朝ドラ、大河ドラマ ともに実に素晴らしく、見るのが楽しく、楽しみにしている。俳優さんたちの演出も上手く、神秘的である。もっとも、楽し過ぎて、そのような虚像にうつつを抜かしていて良いものかとの気持ちも湧くが、適当に楽しみと心得れば、良いのではないだろうか。生活のはりにもなる。
ところで、今回の状況は、時代背景を異常に美しく表現しているが ― 実情は相当に貧相しいものではなかったろうか ―、恋の在りようについての課題が大きな比重を占めて来ていると言える。恋は 再生核の元であり、人生の大事であるから、再生核研究声明でも真剣に取り上げて来ている:
再生核研究所声明 36 (2010.5.14): 恋の原理と心得
再生核研究所声明 124(2013.8.20):恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明159(2014.5.28):恋する男女は強い - 何故か?
今回の展開は ありふれた小説の題材で、いわば定番の展開であるから、全人生や社会との関係で 状況の理解と在るべき在りようは 明瞭にみえる。
その前に、上手く展開した花子様の例は、恋の原理、恋の機微にしたがって、恋の目覚めに始まって、順調に進んだのであるから、ハッピィーとして、評価すれば良い。世に言う、おめでとう という 祝辞を送りたくなる。― 関係者達は、それぞれに素晴らしい人たちに見える。
さて、蓮子様は 恋に目覚めず、空しい、息苦しい10年間を送ったと告白されている。 結婚生活を長く続けていても、そのような例は、世に多いとされている。子供ができれば、恋を越えて、新しい段階に進むのが世の常であるが、このように子を儲けない場合には、よりそのような可能性を高める状況が有ると考えられる。他方、石炭王加納 様は、大事に、大事にしてきたのに、結果について無念を表明している。娘のように、御飾りもののように 大事にされて来た様子が伺える。 家を中心とした古い社会のこと、蓮子様が 愛や、恋に目覚めることなく、嫁いだ状況は 当時は やむを得ない状況であると考えられる。ところがふとしたことから、恋に目覚め、一身を掛けたいとの熱情が湧いて、男女の愛に生きたいと決断、反社会的な駆け落ちの事態を迎えた。
人生の意義は 感動すること にあると、人生の基本定理は述べている、また、最も大事なこと、人類の存在は 如何なるものをも 超えている を考えれば、蓮子様の行為は諒として 判断されるべきであり、多くの女性の共感を得るだろう。そのとき、ぼんやりと人生とは何か、どの様な意味があるかと、回想するだろう。
他方、女性の気持ちを理解できなかったこと、恋の本質、女性の本質的な存在を理解できなかったことは 加納氏の大きな過ちであるが、このような事態になっては 大いに反省するとともに 愛する女性の新しい人生を暖かくみて、逆に協力、援助などを行うべきである。花子さんの ご主人の元奥様の 大きな愛に 学ぶべきである。
恋は 人生の大事ではあるが、恋だけが 人生ではなく、人生にはどんどん先があり、より高い精神的な段階があり、人間としての精進を志向して、まこと人物たる人間になるように成長を志向すべきである。
以 上

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再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説花子とアン」― 蓮子様の気持ち

(再生核研究所声明に関心を抱く人から、最近の朝ドラの展開について 所見を求められたので、纏めてみることにした)

まず、NHKのドラマ制作の能力は 実に素晴らしく、どうして、あのように美しい画面、演出ができるのか不思議で、不思議で仕方がない。朝ドラ、大河ドラマ ともに実に素晴らしく、見るのが楽しく、楽しみにしている。俳優さんたちの演出も上手く、神秘的である。もっとも、楽し過ぎて、そのような虚像にうつつを抜かしていて良いものかとの気持ちも湧くが、適当に楽しみと心得れば、良いのではないだろうか。生活のはりにもなる。

ところで、今回の状況は、時代背景を異常に美しく表現しているが ― 実情は相当に貧相しいものではなかったろうか ―、恋の在りようについての課題が大きな比重を占めて来ていると言える。恋は 再生核の元であり、人生の大事であるから、再生核研究声明でも真剣に取り上げて来ている:

再生核研究所声明 36 (2010.5.14): 恋の原理と心得

再生核研究所声明 124(2013.8.20):恋の機微 - 恋の極意

再生核研究所声明159(2014.5.28):恋する男女は強い - 何故か?

今回の展開は ありふれた小説の題材で、いわば定番の展開であるから、全人生や社会との関係で 状況の理解と在るべき在りようは 明瞭にみえる。

その前に、上手く展開した花子様の例は、恋の原理、恋の機微にしたがって、恋の目覚めに始まって、順調に進んだのであるから、ハッピィーとして、評価すれば良い。世に言う、おめでとう という 祝辞を送りたくなる。― 関係者達は、それぞれに素晴らしい人たちに見える。

さて、蓮子様は 恋に目覚めず、空しい、息苦しい10年間を送ったと告白されている。 結婚生活を長く続けていても、そのような例は、世に多いとされている。子供ができれば、恋を越えて、新しい段階に進むのが世の常であるが、このように子を儲けない場合には、よりそのような可能性を高める状況が有ると考えられる。他方、石炭王加納 様は、大事に、大事にしてきたのに、結果について無念を表明している。娘のように、御飾りもののように 大事にされて来た様子が伺える。 家を中心とした古い社会のこと、蓮子様が 愛や、恋に目覚めることなく、嫁いだ状況は 当時は やむを得ない状況であると考えられる。ところがふとしたことから、恋に目覚め、一身を掛けたいとの熱情が湧いて、男女の愛に生きたいと決断、反社会的な駆け落ちの事態を迎えた。

人生の意義は 感動すること にあると、人生の基本定理は述べている、また、最も大事なこと、人類の存在は 如何なるものをも 超えている を考えれば、蓮子様の行為は諒として 判断されるべきであり、多くの女性の共感を得るだろう。そのとき、ぼんやりと人生とは何か、どの様な意味があるかと、回想するだろう。

他方、女性の気持ちを理解できなかったこと、恋の本質、女性の本質的な存在を理解できなかったことは 加納氏の大きな過ちであるが、このような事態になっては 大いに反省するとともに 愛する女性の新しい人生を暖かくみて、逆に協力、援助などを行うべきである。花子さんの ご主人の元奥様の 大きな愛に 学ぶべきである。

恋は 人生の大事ではあるが、恋だけが 人生ではなく、人生にはどんどん先があり、より高い精神的な段階があり、人間としての精進を志向して、まこと人物たる人間になるように成長を志向すべきである。

以 上



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あるきっかけで、昨日はゼロを考えた。

あるきっかけで、昨日はゼロを考えた。

2013年4月17日 (水)

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昨日はゼロ(無)についてしばし考えてしまった。

●無とは、ゼロとは何ぞや。

・ゼロは起点を表す基数。

距離や時間はゼロから測る。物差しやストップウオッチ。

しかし、西暦ゼロ年とは言わない。西暦は1年1月1日から始まる。なぜ?*序数だから。

(ちなみに天文学上では西暦ゼロ年は紀元前1年のこととして計算する。グレオ暦*ISO 8601)

・「無」を考える。

数学で1×0=0と習った。

卓上にりんごがゼロ個。のび太はりんごを食べたかった。

しずかは同じくイチゴ ゼロ個を想った。

どちらも卓上には何もない。

「無」の概念の中では「 りんごゼロ個=イチゴゼロ個 → りんご=イチゴ 」あれっ?

いやいや「無」は無であって有ではない。

「無」から「有」は生まれない。

「無」はりんごでもなければイチゴでもない。

宇宙の起源はビッグバンから始まったという。

宇宙誕生の起点ビッグバン以前を夢想してしまった。

西暦1年1月1日は起点ではなく時系列中の特異な点。

ビッグバンも時系列中の特異な点。

西暦に紀元前が有るように、ビッグバンの前が有ってもおかしくない。

と、思う..

*日付は序数となるので、0年や0月や0日は存在しない。

西暦であれ皇紀であれ、1年(元年)の前は紀元前1年である。 「序数 序数詞」(←検索)

*ISO 8601は日付と時刻の表記に関する国際規格。

日付は西暦1年1月1日で始まるが、時間は午前0時0分から始まる。

ちなみに午前0時は「12:00AM」正午は「12:00PM」と表記する。

*電卓ソフト ゼロで除算。

ソフトによってエラーを返すものと∞(無限大)を表示するもの2種類がある。

http://cookpad.com/diary/2287341

Announcement 179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics

\documentclass[12pt]{article}

\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}

\numberwithin{equation}{section}

\begin{document}

\title{\bf Announcement 179: Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics\

}

\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\

Kawauchi-cho, 5-1648-16,\

Kiryu 376-0041, Japan\

E-mail: kbdmm360@yahoo.co.jp\

}

\date{\today}

\maketitle

{\bf Abstract: } In this announcement, we shall introduce the zero division $z/0=0$. The result is a definite one and it is fundamental in mathematics.

\bigskip

\section{Introduction}

%\label{sect1}

By a natural extension of the fractions

\begin{equation}

\frac{b}{a}

\end{equation}

for any complex numbers $a$ and $b$, we, recently, found the surprising result, for any complex number $b$

\begin{equation}

\frac{b}{0}=0,

\end{equation}

incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices, and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the case of real numbers. The result is a very special case for general fractional functions in \cite{cs}. 

The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example, google site with division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628, however,

Sin-Ei, Takahasi (\cite{taka}) (see also \cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing some full extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2). His result will show that our mathematics says that the result (1.2) should be accepted as a natural one:

\bigskip

{\bf Proposition. }{\it Let F be a function from ${\bf C }\times {\bf C }$ to ${\bf C }$ such that

$$

F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad)

$$

for all

$$

a, b, c, d \in {\bf C }

$$

and

$$

F (b, a) = \frac {b}{a }, \quad a, b \in {\bf C }, a \ne 0.

$$

Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $

$$

F (b, 0) = 0.

$$

}

\medskip

\section{What are the fractions $ b/a$?}

For many mathematicians, the division $b/a$ will be considered as the inverse of product;

that is, the fraction

\begin{equation}

\frac{b}{a}

\end{equation}

is defined as the solution of the equation

\begin{equation}

a\cdot x= b.

\end{equation}

The idea and the equation (2.2) show that the division by zero is impossible, with a strong conclusion. Meanwhile, the problem has been a long and old question:

As a typical example of the division by zero, we shall recall the fundamental law by Newton:

\begin{equation}

F = G \frac{m_1 m_2}{r^2}

\end{equation}

for two masses $m_1, m_2$ with a distance $r$ and for a constant $G$. Of course,

\begin{equation}

\lim_{r \to +0} F =\infty,

\end{equation}

however, in our fraction

\begin{equation}

F = G \frac{m_1 m_2}{0} = 0.

\end{equation}

\medskip

Now, we shall introduce an another approach. The division $b/a$ may be defined {\bf independently of the product}. Indeed, in Japan, the division $b/a$ ; $b$ {\bf raru} $a$ ({\bf jozan}) is defined as how many $a$ exists in $b$, this idea comes from subtraction $a$ repeatedly. (Meanwhile, product comes from addition).

In Japanese language for “division”, there exists such a concept independently of product.

H. Michiwaki and his 6 years old girl said for the result $ 100/0=0$ that the result is clear, from the meaning of the fractions independently the concept of product and they said:

$100/0=0$ does not mean that $100= 0 \times 0$. Meanwhile, many mathematicians had a confusion for the result.

Her understanding is reasonable and may be acceptable:

$100/2=50 \quad$ will mean that we divide 100 by 2, then each will have 50.

$100/10=10 \quad$ will mean that we divide 100 by10, then each will have 10.

$100/0=0 \quad$ will mean that we do not divide 100, and then nobody will have at all and so 0.

Furthermore, she said then the rest is 100; that is, mathematically;

$$

100 = 0\cdot 0 + 100.

$$

Now, all the mathematicians may accept the division by zero $100/0=0$ with natural feelings as a trivial one?

\medskip

For simplicity, we shall consider the numbers on non-negative real numbers. We wish to define the division (or fraction) $b/a$ following the usual procedure for its calculation, however, we have to take care for the division by zero:

The first principle, for example, for $100/2 $ we shall consider it as follows:

$$

100-2-2-2-,…,-2.

$$

How may times can we subtract $2$? At this case, it is 50 times and so, the fraction is $50$.

The second case, for example, for $3/2$ we shall consider it as follows:

$$

3 - 2 = 1

$$

and the rest (remainder) is $1$, and for the rest $1$, we multiple $10$,

then we consider similarly as follows:

$$

10-2-2-2-2-2=0.

$$

Therefore $10/2=5$ and so we define as follows:

$$

\frac{3}{2} =1 + 0.5 = 1.5.

$$

By these procedures, for $a \ne 0$ we can define the fraction $b/a$, usually. Here we do not need the concept of product. Except the zero division, all the results for fractions are valid and accepted.

Now, we shall consider the zero division, for example, $100/0$. Since

$$

100 - 0 = 100,

$$

that is, by the subtraction $100 - 0$, 100 does not decrease, so we can not say we subtract any from $100$. Therefore, the subtract number should be understood as zero; that is,

$$

\frac{100}{0} = 0.

$$

We can understand this: the division by $0$ means that it does not divide $100$ and so, the result is $0$.

Similarly, we can see that

$$

\frac{0}{0} =0.

$$

As a conclusion, we should define the zero divison as, for any $b$

$$

\frac{b}{0} =0.

$$

See \cite{kmsy} for the details.

\medskip

\section{In complex analysis}

We thus should consider, for any complex number $b$, as (1.2);

that is, for the mapping

\begin{equation}

w = \frac{1}{z},

\end{equation}

the image of $z=0$ is $w=0$. This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the point at infinity on the Riemann sphere.

However, we shall recall the elementary function

\begin{equation}

W(z) = \exp \frac{1}{z}

\end{equation}

$$

= 1 + \frac{1}{1! z} + \frac{1}{2! z^2} + \frac{1}{3! z^3} + \cdot \cdot \cdot .

$$

The function has an essential singularity around the origin. When we consider (1.2), meanwhile, surprisingly enough, we have:

\begin{equation}

W(0) = 1.

\end{equation}

{\bf The point at infinity is not a number} and so we will not be able to consider the function (3.2) at the zero point $z = 0$, meanwhile, we can consider the value $1$ as in (3.3) at the zero point $z = 0$. How do we consider these situations?

In the famous standard textbook on Complex Analysis, L. V. Ahlfors (\cite{ahlfors}) introduced the point at infinity as a number and the Riemann sphere model as well known, however, our interpretation will be suitable as a number. We will not be able to accept the point at infinity as a number.

As a typical result, we can derive the surprising result: {\it At an isolated singular point of an analytic function, it takes a definite value }{\bf with a natural meaning.} As the important applications for this result, the extension formula of functions with analytic parameters may be obtained and singular integrals may be interpretated with the division by zero, naturally (\cite{msty}).

\bigskip

\section{Conclusion}

The division by zero $b/0=0$ is possible and the result is naturally determined, uniquely.

The result does not contradict with the present mathematics - however, in complex analysis, we need only to change a little presentation for the pole; not essentially, because we did not consider the division by zero, essentially.

The common understanding that the division by zero is impossible should be changed with many text books and mathematical science books. The definition of the fractions may be introduced by {\it the method of Michiwaki} in the elementary school, even.

Should we teach the beautiful fact, widely?:

For the elementary graph of the fundamental function

$$

y = f(x) = \frac{1}{x},

$$

$$

f(0) = 0.

$$

The result is applicable widely and will give a new understanding for the universe ({\bf Announcement 166}).

\medskip

If the division by zero $b/0=0$ is not introduced, then it seems that mathematics is incomplete in a sense, and by the intoduction of the division by zero, mathematics will become complete in a sense and perfectly beautiful.

\bigskip

section{Remarks}

For the procedure of the developing of the division by zero and for some general ideas on the division by zero, we presented the following announcements in Japanese:

\medskip

{\bf Announcement 148} (2014.2.12):  $100/0=0, 0/0=0$  —  by a natural extension of fractions — A wish of the God

\medskip

{\bf Announcement 154} (2014.4.22): A new world: division by zero, a curious world, a new idea

\medskip

{\bf Announcement 157} (2014.5.8): We wish to know the idea of the God for the division by zero; why the infinity and zero point are coincident?

\medskip

{\bf Announcement 161} (2014.5.30): Learning from the division by zero, sprits of mathematics and of looking for the truth

\medskip

{\bf Announcement 163} (2014.6.17): The division by zero, an extremely pleasant mathematics - shall we look for the pleasant division by zero: a proposal for a fun club looking for the division by zero.

\medskip

{\bf Announcement 166} (2014.6.29): New general ideas for the universe from the viewpoint of the division by zero

\medskip

{\bf Announcement 171} (2014.7.30): The meanings of product and division — The division by zero is trivial from the own sense of the division independently of the concept of product

\medskip

{\bf Announcement 176} (2014.8.9):  Should be changed the education of the division by zero

\bigskip

\bibliographystyle{plain}

\begin{thebibliography}{10}

\bibitem{ahlfors}

L. V. Ahlfors, Complex Analysis, McGraw-Hill Book Company, 1966.

\bibitem{cs}

L. P. Castro and S.Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

\bibitem{kmsy}

S. Koshiba, H. Michiwaki, S. Saitoh and M. Yamane,

An interpretation of the division by zero z/0=0 without the concept of product

(note).

\bibitem{kmsy}

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,

New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$,

Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

\bibitem{msty}

H. Michiwaki, S. Saitoh, M. Takagi and M. Yamada,

A new concept for the point at infinity and the division by zero z/0=0

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S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

\bibitem{taka}

S.-E. Takahasi,

{On the identities $100/0=0$ and $ 0/0=0$}

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S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y. Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the real and complex fields. (submitted)

\end{thebibliography}

\end{document}

糖尿病が世界で急増 「たばこより脅威」

糖尿病が世界で急増 「たばこより脅威」

糖尿病が世界で急増している。各国の糖尿病関連団体でつくる国際糖尿病連合(IDF)によると、2013年の世界の糖尿病人口(20~79歳)は3億8200万人で、1億9400万人だった03年から倍増。35年には5億9200万人に達する見込みだ。経済成長に伴い中国やインド、アフリカでも年々深刻化しており、欧米では糖尿病や肥満の対策として糖分を多く含んだ清涼飲料などに課税する動きも出始めている。

IDFによると、糖尿病人口の約80%は中低所得国の人々。13年は1位が中国でインド、米国と続き、日本は10位だ。35年までに中国では約1・5倍、インドで約1・7倍に、サハラ砂漠以南のアフリカでも倍増する見通し。13年の糖尿病による世界の死者は510万人で、喫煙による死者約600万人に迫る。低所得国では資金不足で治療を受けられない患者も増えると懸念される。

世界保健機関(WHO)は13~20年の「行動計画」で、糖尿病を含む非感染症の死者を25年までに25%削減する目標を掲げている。国連のデシューター特別報告者(食料問題担当)は今年5月、高カロリーで栄養バランスが悪いジャンクフードなど不健康な食品は「たばこより大きな健康上の脅威」と警告、規制を急ぐよう各国に促した。

メキシコは糖分を含む清涼飲料やファストフードなど高カロリー食品への課税を今年1月から開始。清涼飲料への課税はフランスやハンガリーでも既に導入されている。

米メディアによると、カリフォルニア州では2月、州内で売られる糖分を多く含んだ清涼飲料や栄養ドリンクなどに「肥満や糖尿病、虫歯の原因になります」との警告文掲載を義務付ける法案が提出された。6月に州議会で否決されたものの、票差はわずかだった。

サンフランシスコ市では7月、加糖飲料に課税する条例の賛否を11月の住民投票で問うことが決まった。

大手清涼飲料メーカーは「清涼飲料だけをやり玉に挙げるのは不公平」と強く反対。飲み物に加える砂糖の量は以前より減らしていると説明するなど防戦に躍起だ。(共同)http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20140902-1360447.html

再生核研究所声明34(2010/04/16):

日本のビジネス―日本料理店の海外展開

日本製品として、国際的に高い評価を得て、世界の富を日本国にもたらしてきたものとして、家電、カメラ、半導体、自動車などが 顕著なものとして、想起される。しかしながら、諸外国の台頭によって、日本国の大きな目玉となる産業にかげりが見えてきており、 国内には失業者があふれ、経済不振と、慢性的な財政赤字に陥っている。 日本国の再生の基礎は、根本的には教育を正し、精神をきたえ直す必要があると考えるが 一つの戦略を具体的に提案したい。要旨は世界の多くの都市に、日本料理店を展開すること である。

先ず、食に対する関心の深さは いずこも同じで、生きることとは 食べること にも通じるものがあり、食に対する関心、経費は、人間存在と活動の大きな部分を占めるという事実から、認識を深める必要がある。 日本料理は健康食品であると同時に、際立った特徴を有し、幸い、日本料理に対する世界の人々の関心の深さは 驚くべきものであり、現状よりは遥かに大きなビジネスチャンスを有すると考える。多くの日本人に、海外の日本料理店で働く職場を広く開拓して、同時に日本の文化を海外に紹介し、また逆に、日本人は海外に出ることによって、国際的な広い視野をもつ機会が得られて、好ましい効果が期待される。

これらのことは、比較的簡単に 少ない投資と準備で実現でき、大きな経済的、文化的な効果が望めると考える。 一つの国家戦略にしようではありませんか。 世界の多くの都市に、日本国の象徴として、美しい日本料理店を展開し、日本の文化を世界に紹介する拠点にしようではありませんか。 若者の雇用や、経済、文化への波及効果は 大きいと考える。もちろん、世界の平和にも大きく貢献するものと考える。

具体的に 次のように提案したい:

経済産業省、外務省、農林水産省などの関係省庁の積極的な援助、

文部科学省は、料理学校などを充実、格あげし、合わせて関係教養教育の充実も図る、

外国人向け 観光関係機関の積極的な支援、

国防省の組織的な支援: たとえば、5000億の資金を兵器の購入にかけるより、そのような面で援助して、日本料理店を通して世界の情報を組織的に得るシステムを確立する、また平和のための戦略を進め、観光促進の拠点にもする。 これこそ、愚かな軍事費を美しい営みにまわしたいとの想いの 現実的な一つの提案になるのではないだろうか。

日本料理店を拠点に、先ずは、世界的の人々の関心が期待される花道、茶道などの組織的な教室の開講を意図する。 また、そのような関係組織との連携を図る。さらに、日本庭園などの文化的な輸出も展望する。

既に相当数、日本人のいない日本料理店が存在する状況を調べて、日本人の派遣による より日本的な料理を浸透させるのは、最も手短な第1歩になると考える。 また、日本料理店の評価機関の設置の検討なども、なされるべきであると考える。

美しい特徴をもつ日本文化を もっと世界で活かそうではありませんか。 関係者のご検討と積極的な取り組みを期待したい。

以上

多様性の容認といいますがこれらのケースは、どうなんでしょうか?

多様性の容認といいますがこれらのケースは、どうなんでしょうか?

僕は

①電車の車内で騒いでいる人間を軽蔑する。

②性風俗に行っている人間を軽蔑している。

③前科のある人を軽蔑している。

④破産者を軽蔑している。

んですが、多様性がないでしょうか?

善を愛すれば愛するほど、悪を憎む心が強くなるというのも僕はあると思うんですが

あまりに鬱陶しいので、注意するとか、こんな奴らといたくないとか

そういうのは大事なように思うんですが

補足多様性を認めるや、寛容な精神が大事というのは、2次的なイメージがあります。

そんなことよりもっと大事なのが、約束を守れず債権者に迷惑をかける破産者を軽蔑することによって、できない約束はしてはならない等、自分の戒めにもなるとおもいます。

借りれるだけ借りて、最後は破産すればいいといった経営者が僕は嫌いです。そんな意見を尊重する人の倫理観にゾッとします。

あと、不倫を容認する人が寛容な人なんでしょうか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14135767209

多様性は、個人が承認し、一緒に成ることではなく、類は友をなすは 適切で、現実的ですね。

しかし、自分で、いろいろな人を評価して、差別するような態度は良くなく、世にはいろいろな人が居ると考えるのが良いのでは。

同性婚を認める国が増加していますが、私は、そのような考えを理解できませんが、そのような人もいるのか、という考え方ですね。

tastefullyoffensive:

[maximoni]